「 失くした力 」



「危ない!!三蔵っ!!」

それは…突然で………

「八戒!?」
合わせた両手を凝視している八戒の目の前で、如意棒を一振りする悟空。
「おい、八戒っ!しっかりしろよっ!?」
「……えっ……?」
見開かれた片眼は、自らの両手を凝視したまま、動けなくなってしまっていた……
「…あれ…?」
……これって……



天竺への旅の途中。 立ち寄った宿屋の一室。 4人は、一部屋に集まって、八戒を囲んでいた。


『危ない!!三蔵っ!!』


昼間の戦闘での八戒の様子が、気になった為だろう……
峠の途中で襲ってきた雑魚妖怪を粉砕すべく、 その手からいつもの気功を放とうと…念を込めた……筈だった……のだ、八戒自身は…


『……えっ……?』
そう、確かに『念』は込めたのだ。 三蔵に襲い掛かる妖怪に向かって……
『…何、ボサっとしてやがるっ!』
予想に反した悟空の攻撃に尻餅をついてしまった三蔵が、 法衣の埃を叩き落しながら、八戒をなじった…
『す、すいません……くしゃみが……出そうで……』
『はぁぁ…?…なんなんだ、それは……』
『い、いいじゃないですか…終わり良しはすべて良し、ってね?』
そう、微笑んだ顔が、奇妙に歪んでいたのを三蔵は…見て取っていた…


『なぁ…三蔵……』
戦いが終わって、ジープの元へ走り去った八戒の後姿を見送りながら、 悟空が呟いた。
『…八戒……変な匂いがする……』
『…………………』







「…なんなんです?皆さん、今日は、お通夜でしたっけ?」
「…あのなぁ、八戒……」
今日の戦いの不自然さを問う為に口を開いた悟浄を制して、
「久々の戦闘でお疲れでしょう、今夜は三蔵を見習って早寝、するとしましょうか?」
みんなの言葉を遮るように、 一人、八戒は、今夜の割り当てられた部屋へと出て行った。
「…やっぱり……変だ……違う、あれ……八戒なんだけど……八戒じゃない……」
「なんだよ、猿……バカに拍車がかかったか?」
「…んだよ!バカって言うなよ!!俺はただ……」
「ただ?なんだよ……」
「……しないんだ…」
「…………………………?」
「しないんだよ……八戒の匂いが……妖怪の匂いが…さ……」
「「………………………!?」」
「…………………………!!」





今はまだ、独りの部屋で、両手に『念』を込めてみる……
何度か、繰り返して……盛大な溜息が、漏れる…
「……期限付き、だったんでしょうか……」
……やっぱり、人間が妖怪に変化……なんて……
……絵空事、だったのでしょうか…?

しかし、確かに八戒は、妖怪の力を得たのだ。 1000人の妖怪の命と引き換えに…

…そう、僕は、 1000の命を代償にあの力を得た、はず…なのに…今の僕の両手は……
……何も感じさせてくれない……
……三蔵…………!!
……あなたを……守れ……ない………っ!






「悟浄?他に欲しいモノ、ありませんか? もし、気に入った女の人がいたのなら… もう一泊出来るように、頼んでみますか?」
買出しの途中…八戒は、饒舌だった…
「悟空!いい匂いがしますね!…食べていきますか?」
いつもなら…三蔵に怒られる… そんな理由を提示して、必要以上の買い食いは、避けていた…八戒……
なのに……
「……気持ち悪い……そんな八戒……」
「そ、そうですか?…いやだなぁ… …悟空、今から人を疑うことを知っちゃったらダメ、ですよ?」
諭すのか、そうじゃないのか…… いつもの理論が、通じない、八戒だった……





「三蔵…明日、出発ですね?」
「………ああ」
「…僕は…この街が気に入ったので、皆さんと一緒の旅は、ここまで!ということで」
「………………なんだ…と…?」
それが―――
八戒の真意か、否か。
三蔵には、わかっていた、の、かもしれない。
「…わかった………」
それだけを答えると、再び視線を新聞に戻した。
風が、硝子窓を無遠慮に叩き続ける、夜、だった……

「………マジ……なのか……?八戒………」
「な、なんでだよ!!訳、言えよ!!」




翌朝―
三蔵から、八戒は、この街に残る、 と聞き…悟浄と悟空は、口々に訳を話せと、詰め寄った…
「…ですから……さっきも言ったじゃないですか?この街が気に入った……って……」
「……八戒っ!!!」
悟空の金の瞳には、今にも涙が溢れそうに……
視線を逸らし……言葉を続ける……
「…いやねぇ、本当は、こんな危険な旅、 いつまでも続けるもんじゃないって思っていたんですよぉ〜」
…違う…終わりになんか、したくない……
「ほら!僕って頭脳派じゃないですか? 身体を張って、戦う、なんて、性にあってないですしぃ〜〜」
……違うんだ……もう、僕は、三蔵の足手まといにしか……ならないから…
「……いい加減、うんざりしてたんです……」
…違う……違うんだ……離れたくなんて……無い…!
……みんなと……三蔵…と……


…もう、言葉は聞こえなかった。 部屋の中には、奇妙な静寂だけがあって……不揃いな呼吸音だけが、響いて……
「………明日……出発する……」





コトッ……
サイドテーブルに白いカップが、置かれた。 湯気を立てている琥珀色の液体から、微かなブランデーの香り……
「……今夜は、綺麗な月、ですね……」
「……ああ…」
「…あれ?今度は……僕の話を聞いててくれてたんですね……」
「…ん?」
「いつだったか……悟空に言われて僕達の共通の趣味について、 話し合った事が、ありましたよね? ………あの時は……『静かに自分だけの時間を楽しむ』って、 結論が出たんですけど…」
「………ああ、そうだったな…」
「今夜もあの時と……おんなじ状況ですが……最後……ですからね… …その趣味は次回…ああ、次回は無いですね… 明日になったらもう、僕達は、別れるんですから……」
『別れるんですから』
口にして、改めて、自分が、どんなにか、ここにいたいと願っているか…自覚する…
だけど……無力な自分など、必要は無いのだ。 この金の髪の男には……
それが、たとえ……この僕でも……
だから、僕は、自ら、この身体を三蔵から切り離す……!
…別れの言葉など、あなたの口から……聞きたくも……無い……!
「少しだけ、あなたの時間を下さい……」
八戒は、手にしたカップの液体を喉へ流し込んだ……
…溜息ひとつ……
「……何を話そうてっんだ?……思い出話か?」
「…えっ…?」
三蔵もまた、同じように、一口……流し込む、ほろ苦い液体…
「…そんなことは、聞きたくも無いし…聞く必要も無い… 俺が、聞きたいのは……お前の本音だ」
「…三………蔵?」
正面から見据える紫暗の瞳は、あまりに、真っ直ぐで… 眩暈さえ、思わせる、熱さで… 八戒の脚が、小刻みに震え始める……
「…僕の…本…音……?」
…三蔵……あなたは……もしかして……?

ガタン…ッ!

…建付けの悪い窓格子が、風に押されて、派手な音を立てた…
暑くも無いのに、八戒の喉は、カラカラに渇き、 線の細い唇は、乾いて…
…水を求めて……
「……三蔵……そんな目で……見ないで……下さい……! …でないと僕は……僕は……」
ホントウを告げてしまいそうで……怖い……!

Marlboroの紫煙が、視界を白く濁らせていく、狭い部屋の中で、 時間だけが、過ぎていく。 ベッドに座った三蔵の目の前に立ち尽くすことしか、出来ない、八戒……
「…ここには…俺たち以外……誰も…いない…」
それが、切欠で……
「……クッ……!!」
崩れるように…三蔵の両膝の間に、顔を埋める……
「…す、すいません……このまま……聞いて……ください………」
乾ききって、痛いくらいに引き攣れる喉を酷使して、自分の状態を告げる……
「…こんなことしても…平気、なんですよ…?」
無造作に耳の3つのカフスを外す……
「爪も…伸びやしない……」
顔を上げ、細い指を三蔵の眼前の翳す…
「…僕はただの……殺人者、になりました…… もう、あなたの側には……いられない…」
「…てめぇは…それで、いいのか…?」
……いいわけ……ないですよ……
「…それに…………」
…言って、しまおうか………
「他にも、訳が、あるんです」
…もう、失うモノは、僕には、無い筈…
「これ以上、あなたの側に居ると…犯して…しまいそうですから……」
「…………………!?」
片方の瞳を細め、どういう意味だ?と、問い掛ける……玄奘三蔵法師……
「言葉どおりの意味です…三蔵…」
「………………………」
八戒の告白を聞いても微動だにしない、三蔵…
「…あ〜〜あ……言うつもりなど、無かったんですけどね… あなたが、言え、と言ったので…言ってみました……」
「……バカか……お前は…?」
「…たぶん……そうなんでしょう……あなたに出逢ってからの僕は……」
「八戒…お前は……」
「待ってください………僕は、返事など聞きたくて、話したわけではありません。 だから、何も……言わないでください……ただ……僕に……」
「……………………」
「……一度だけ、あなたの唇に触れることを、許してください……」
「……ああ…」
それは―― 得られる筈の無い、返答だった。
しかし……顔を寄せてきた三蔵に、八戒は、何も、考えられなくなって…しまった…
白い肌が、闇に浮かび… 無防備な首筋が、狂気を呼ぶ……
互いの息遣いだけが、揺らめいた……夢うつつ……
ただ、この時だけ……
最後の、触れあいを…
その温もりを覚えようと…溺れていったのは、猪八戒……
今は、ただの『人間』になってしまった……男の……唯一の我侭で……
刺し貫く、愛しい人の身体を…… ただ、この時だけ……と……





「………で…?」
「…なんですか?」
本日、快晴。
……いやになるくらいの…快晴…
ジープは、昨日と同じに、西への旅を続ける……
運転席の八戒は、ギアをトップに入れ………
「………いゃぁ〜晴れましたねぇ〜〜旅には、もってこいの日和ですv」
「……お前なぁ……」
少し…だるそうにしていた三蔵が脱力したように眉間に手を当てる……
(……俺の…昨夜の…アレは……なんだったんだ……?)
……ニコニコ顔の八戒の左耳には、しっかりと、3つのカフスが、光っていた…
「さぁ、先を急ぎましょう!ぼやぼやしていたら、 おじいさんになっちゃいますからねぇ〜〜」
「……八戒…」
「はい?」
「…………絶好調……みてぇだな……」
「ええ!いい薬、戴きましたから……」
(……ありがとう、三蔵……どうやら…あなたの… …お陰みたいです……ご馳走様、でしたv)

END

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緋麻猫様主催「八戒夏祭り」と題した企画に 参加させていただいた作品でございます。 私自身、このような企画に参加することが始めてで 勝手がわからず、右往左往いたしましたが、 なんとか納品出来ました!