「微熱の条件」



「ドライブに出ようか」
今、俺の目の前で特上の笑顔で微笑んでいるのは、比類稀なる天才、架月裕壱。八百屋のオバチャンさえも虜にしてしまう…ほんとに何をしてもサマになっちまう、うらやましい容姿で…って、なんで俺、架月の太鼓もちしてんだ?これはみんな対外的な事を言ってだなぁ…
「早くしろよ、ぐずぐずするな」
…ま、こっちが本物の架月だ。
「なんだよ、突然っ」
受験勉強をしているところを強引に連れ出し、この言い草。相変わらず、俺様なのが本性、なんだよな。ま、一応、抵抗してみせるが…結局は、言いなり…
「…なんだよ…車、買ったのかよ…」
さっき家の前に止まった見慣れない車、架月のだったのか…
「ああ、5年ローンでな、なんだよ、喜ばないのか?お前の為に買ったのに…」
サラっと言っちゃって…大学生のくせに…それにこの車は一般人は、5年じゃ買えないぞ…俺の為…?そ、それは、嬉しいけど…でもその初心者マークは、なんとかしないと…なんて俺の疑問や不安を置き去りにして車はスピードを上げていった。

メタリックシルバーの車は憎らしいくらい架月に似合っている。その助手席に身を沈めながら、真剣な顔で前方を見据えている横顔を見つめる。
俺、藤井渉、緑陽高校3年、もうすぐ卒業だ。隣で涼しい顔で運転しているのは、一応…俺の、恋人…なんだ…男同士の俺たちがこういう風に…なったのには、ま、いろいろあって…だけど、俺達はくすり指の揃いの指輪に誓いをしているんだ。ずっと側に居るって。
この指輪がある限り、絶対なんだ、俺達は…こんな風に突然連れ出されるのは嫌いじゃない。出来るならずっと一緒にいたいと思ってるし…こうやって不測な逢瀬は、大歓迎、なんだけど…なんだか…くやしい…たったひとつしか違わないのに架月はいつも俺の前を歩いている。日頃の行いの賜物だよ、なんて言ってのけるけど…俺は、そんな架月に追いつきたくてたまらない。いつだって肩を並べて歩きたいんだ。いつも対等な関係で…
「…渉……」
「…………」
「目を開けたまま寝てんのか?」
「……………っ」
いつの間にか車は止まっていて、ハンドルに寄りかかった架月の視線と正面からぶつかってしまった。
「何一人で百面相してんだ?ったく…いつ見ても面白いヤツだ、お前は…」
首を少し傾けて笑う仕草が、鼓動を跳ね上げる。なんだっていつも…
「…なんでもねぇよ…」
「あ、今度は怒った…」
「架月っ」
「わかった、わかった、とりあえず、飯、食おうぜ」
まるでずっと前からそうだったかのように慣れた様子でドアを開ける。いちいちカッコイヤツだ…俺はまた、動けなくなった…


「渉ももうすぐ、卒業だよなぁ」
「ああ…」
「卒業旅行にでも行くか?」
旅行…初めて旅行したのは、沖縄…あの時は…
「…いろいろあったよなぁ」
「ん?なんだよ、いろいろって」
「ああ、旅行って言葉を聞くと、沖縄の事を思い出しちゃってさ」
「……あぁ」
心なしか、架月の表情が曇る。初めての旅行で俺達は架月の兄架月祥平さんに宣戦布告を受けた。その言葉どおり何度か、邪魔、みたいな事があった。だけど、架月はあえてその挑戦を受けて、今度は兄と同じフィールドで戦おうとしている。
俺、知ってるんだぜ。架月が建築の専門学校を受けようとしているのを。今の大学だってそれなりに建築の事は勉強できる。だけどハンデのある自分だから寝る時間を削って勉強している事も…わかるさ、架月の事はなんでも…でもさ、無理はすんなよ。俺だったら、大丈夫だからさ…架月が隣にいてくれるだけで、いいんだから…

有限実行の恋人は、あれよという間に旅行の計画を立てた。俺の両親への根回しも忘れずに。久しぶりの二人の時間に俺は、はしゃいでいた。とりあえずは、今を楽しもう。

車は、北に向かって走っていた。北上まで登って平泉に行こうと言う。今更義経かよ、と笑って見せたが何処だっていいさ。架月と一緒に居られるんなら…
10日後に卒業式を控えて俺も進路は決まった。さすがに架月と同じ大学、とはいかなかったが、なんとか同じ電車で通える所に合格できた。ここまで頑張った甲斐があったってもんだ。また、一緒に登校出来るんだから、さ。

車の外はもうすぐ訪れる春の気配がしていた。東京を離れて何時間経ったんだろう。俺はいつの間にか眠ってしまっていたみたいだ。慌てて起き上がって架月の横顔を盗み見た。
「……えっ」
座席に深く腰掛けゆったりと運転するその横顔に浮かんだ笑みが、陽に照らされ、なんだかとっても眩しい…たぶん…俺の事を考えているんだろう…こ、これってうぬぼれじゃないけど…なんか、わかる…
「…コラっ、運転手をほっといて寝るなんて失礼なヤツだなぁ」
「…ええっ」
き、気づいてたのかよ…俺が起きた事…
「今夜は…お仕置き、だな…」
そんな事をさらっと言って、口の瑞を少しだけあげて笑う架月が、ちょっとだけ怖かった…
「あれ?ずいぶん曇っちゃったね」
改めて外の景色が変わっている事に気づいた。眠る前は、もっと晴れていたはず。
「ああ…なんだかヤバイ天気だなって俺も思ってた。この先で休憩しようと思っていたけど、ホテルまで直行したほうが良さそうだな。」
まだ初心者マークの架月。それにしてはスピードが出すぎていると思ったけど、今にも泣きそうな空にその意見に同意するしかなかった。
「…まずいな…」
「…架月」
いやな予感がますます強くなっていた。もうすぐの筈と標識の案内どおりに走ったはずが、いつの間にか辺りが、森へと変わっていたんだ。
「チッ…何処で間違えたんだ…」
らしくないあせりを浮かべて、乱暴にハンドルを切る。反動で身体が横にずれ、架月の肩にぶつかった。 「…あ」
唐突にブレーキを踏む。
「ど、どうしたんだよ」
「悪い…」
「……大丈夫か?」
「ちょっとあせった…」
「いいよ、慣れない道じゃしょうがないよ。ちょっとだけ休憩しよう?」
「ああ、そうだな…」
車外に出ると思ったより、気温は低かった。今夜の東北の天気ってどうだっけ。まだ、3月に入ったばかりだけど…雪、なんか降っちゃうんじゃ…今年は雪多いってニュースでやってたし…なんてこと、冗談にでも思うんじゃなかったと後で死ぬほど後悔することになったんだ。
「…雪」
見上げた空から落ちてくるのは、紛れも無い、雪。
「渉っ」
慌てた架月の声がした。
「何?」
「タイヤ、交換しないとヤバイ。手伝ってくれるか?」
しかし、トランクを開けたまま、一向に動こうとしない。
「どうしたんだよ、タイヤ、取り替えるんだろ?早くしないと、積もっちゃうよ」
「…失敗したな…」
「……え?」
歯切れの悪い様子に訳を聞くと…
「…って、じゃ、このタイヤはダメだってことっ?」
用意していたスタッドレスタイヤは、架月の車には合わないものだという。
「俺の車のピッチに合わない…」
タイヤを止めるためのビスが、車軸には4本ついている。そのビスとビスの間隔が車種によって違うという。トランクの中のタイヤは、もう少し、小型の車の物らしい。
きっとカーショップのミスなんだろう。北国と違って東京では、そんなに出ないタイヤだし、間違いもあるかも…なんて、店員を擁護してもこの状況を招いたのは、そのあほ店員のせいだ。
「…どうしよう…架月…」
「仕方ない、雪がやむのを待つか…幸い、ガソリンは満タンだし、エンジンかけっぱなしでもしばらくは、もつだろう」
だよな…賛成… 寒いもんな…
「…雪、やまないなぁ」
車内の時計は、正午を示していた。お腹、すいた…
「ごめん…渉」
天気を甘く見たな、と架月は反省しきり。大丈夫だよすぐやむって、と言いながら見上げた灰色の空は、白い雪をどんどん降らせていく。
「寒くないか?もっと、こっち来いよ」
暖房が入っているからそんなに寒さは感じなかった。だけど、フロント硝子に積もる雪が僕達を覆い隠そうとしているようにみえてなんだか心細くなっていたのも確かだ。だから、素直に誘いを受けた。
「うん…」
触れた肩先から流れ込んでくる体温…安心する…
「渉…このまま…雪がやまなかったら……」
「…やまなかったら…」
「…俺と心中、してくれる?」
何、冗談言ってんだよ、この状況で、と、睨み返した先の顔…
「…んなマジな顔しちゃって…って、おいっ、架月っ」
「…冗談言っているように見えるか?…考えてもみろよ、季節外れの雪はやみそうもない、とうざをしのぐ食料もない、ましてやここに俺達がいることは誰も知らない。夜になったら、ガソリンも無くなって…このまま…」
架月は、そんな哀しい事を言う。
「だから…最後に渉…」
涙の滲んだ二つの瞳が近づいてきたと思ったら俺の唇は…架月の吐息に包まれていた…
「…んっ………んんっ」
性急に唇を割って舌を差し込んでくる…急速に体温が上昇していくのを自覚する。
架月…ヤバイって…ここ、車の中……何、考えてんだよっ、架月っ。
そんな俺の戸惑いなんてお構いましに不埒な指は、トレーナーの裾から入り込み、肌をなぞり始める。
「…やっ…だ、め、だって…架月…っ」
「…なんだよ…俺の最後の願いを叶えてはくれないのか?」
「最後って…なんだよ…か、架月…ヤ…ヤバイって……」
「…渉」
つぶやいた声音が、今にも泣き出しそうで俺は驚いて、顔を上げた。
「ど、どうしたっていうんだよ、らしく、ない…」
「らしくないって…なんなんだよ…俺は…」
「………」
「お前は知らないんだ、俺がどんなに渉のことが好きなのか…他の誰にも触れさせたないほど好きだって事を…」
「……架月」
真剣マジな顔で、言う。いったいどうしたのか、わからないまま、架月の言葉に揺さぶられ続ける…
「お願いだから…」
「だけど…」
言葉じゃ拒否してるけど、もう俺の身体は、戻れないところまできていて…白く染まった視界が意識をも白くしてしまって…誘われるままに、両腕を背中に、回した…

「んっ…は…ぁ……」
運転席の架月が大きく伸びをして、俺の吐息をすべて吸い取ろうと、包み込んでくる。いくら普通車と言ってもここはそんな事をする為に作られちゃいない。二人の間にあるギアハンドルなんかが、邪魔になっている。俺も不自然な形で口付けを受け続けるのが苦痛になってきた。架月の指はいつものように優しいけど、もっと違う場所にも触れてほしくて…じれた…
「か…架月……」
それだけで俺の欲求を理解したのか、ふいに身体を離す。だけどいたずらな指は、俺の脚の間をなぞっていて、もどかしいくらい、優しく、なぞっていて…
「…あ……ん…」
もっと強い刺激が欲しくて、腰が浮いてしまう…
「…渉…欲しいの…?」
俺を見下ろす瞳は凶悪に色っぽくて…俺は何度も、頷いた…
「ちょっと…待ってて…」
ジーンズの前が開かれ、一気に下半身が外気に晒される…送風口の風が、露わになった部分を撫でていく…その微かな刺激さえも我慢の限界を引き上げるっていうのに…架月は…俺の両足の間の顔を埋める…
「………んんっ…はぁっっ」
今までとは比べものにならない強い刺激が俺に声を上げさせた…ここは山の中、誰が聞いているわけでもないというのに、自分の出した声の甘さに…羞恥し、指を噛んだ…
「…渉…だめだ……」
唾液で濡れた唇で叱る…俺の視覚さえも架月に抱きとめられ、もう、俺は…
「…渉……渉……」
繰り返し呼ばれ、それが自分の名前であることすら忘れるほど、俺は快感の波に翻弄され続けていた……

「……架月…」
俺は、力の入らないまま、隣で身支度をしている恋人の名前を呼んだ。
「…なんだよ……動けないのか?」
…ああ、そうだよ…こんな狭い車内の中であんな格好…させられたんだからな…なんだかあちこち痛てぇよ…だけどさ、俺が言いたいのはそんな事じゃなくて…
「なんなんだよっ、あの太陽はっ」
そうなんだ…外は、融けた雪が水滴に変わり、その一滴一滴を太陽が輝かせ…って、詩人になっている場合じゃなくって…
「…架月…お前…もしかして……もしか、して……」
「よかったなあ、渉。東北の山の中で、心中、なんて事にならなくてさ」
そんな爽やかな顔で言うなよ…『確信犯』そんな言葉が俺の頭の中に鳴り響いた…

『今日の内陸地方は、正午前後は雪、しかし、午後からは陽が差す良いお天気になるでしょう』

エンジンをかけたカーラジオからそんな放送が、流れてきたんだから、な…
「なあ、渉。ホテルに着いたら、露天風呂、行こうな」
「はいはい……」
もう、どうにでもしてくれ…勝てないよ、架月裕壱には……



いつもどこでも 心に微熱を起こすのは
            たわいのない 言葉
            何気ない 触れ合い

             だけど それは たった一人が自分に与えてくれるもの
                                    唯一の幸せの色 
                        どこまでも その熱に酔っていたい…


END