密やかな時間



■密やかな時間 story 1■

「……ぁ……わ、わたし……は…」
白いレースのカーテン越しの淡い朝日が差し込む部屋で、シンは、目覚めた。
するりと、
滑り落ちた羽根布団の下に裸の胸を見つけ、慌てて、両肩を抱く。
早鐘のように鳴り出した鼓動が全身に朱を散らす。 微かに聞こえるのは、朝を告げる、鳥の声。
必死に昨夜の記憶を手繰り寄せる。 纏まらない思考のまま、シンは、首を巡らせた。
隣に感じる、体温を確かめるように……

「……ユダ…………」
「忘れ物だ……」
突然、降ってきた声音は、ユダのもの。 振り返ったシンの視界に風に揺れる、絹のリボンが目に入る。
聖霊祭の夜、ユダにより、与えられた証。
「……あっ………」
再び、鳴り出した鼓動に視線を逸らしながら、立ち上がる。
「後ろを向け。結んでやろう」
声は、何処までも優しく、シンを包み込む。 背後をユダに預け、シンは瞳を閉じた。 冷静さを取り戻そうと……

『夕食を一緒にどうだ?』
宮殿の帰り道の二人だけの約束。
麒麟のユダ、 玄武のシン、 共に六聖獣に命ぜられ、互いの能力を高めあい、触れ合い、日々を過ごしていた。
いつの頃からか、ユダは、シンを個人的にも誘うようになっていた。 そして、その誘いを心待ちにしている自分がいる事をシンは自覚していた。
六聖獣の長であるユダを慕う天使は、たくさんいる。 自分だけが、特別であってはならないのだと、気持ちにブレーキをかけていた。ゆえに、声を掛けられ、嬉しさを感じながらもごく、穏やかにその誘いに答えたのだった。
それなのに…と、二人の時間を待ち遠しくも思ってしまう自分も存在する事を否定出来ずにいた。

台所に立つユダを手伝うべく、隣に立つ。 それだけで、全身が震えてしまうのをシンは、止める事が出来ない。
この刻…、
ここにいるのは、自分と敬愛するユダのみ。 ユダの視線は、今は、自分だけのもの。
天使にあるまじき感情が、支配していく…… ゆっくりと、心を犯して、いく…
「……ほんとうにユダは、料理が上手ですね」
「…ん?この程度がか?」
「…わたしには、その才能がありませんから…羨ましいです」
「そうか…?取り立てて、自慢すべき事でも無いと思うが…」
「…でも、わたしは、こんな事も、あなたに適わない…」
「………シン…」
「あぁ、すみません。わたしがもっと努力をすれば良いだけなのですから。失言でしたね」
「…こうして、俺の作った料理を二人で食べる。そこにどちらが上手かという事は必要ない思うが…
どうなのだ?シン、お前は私と食事をするのが、苦痛なのか?」
「えっ!?ま、まさか!そんな事、有り得ません!!」
「だったらもっと楽しそうな顔をしろ。さっきから眉間に皺が寄っている…」
「―――――――ぁ」
「……フッ…さぁ、この器を食卓へ」

二人だけの会話は、時に料理を極上の味に変え、時に喉を詰まらせるものになった。 たあいのない言葉を自分の物だという『勝手な希望』に捉えさせ、 シンは、何処までもユダの言葉に酔っていった。 夜も更け、いとまを告げようとしたシンに女神から贈られたシェリー酒があると、引き止められる。 もとより、シンに拒む意思など無く、柔らかい微笑みと共に、再びソファに沈み込んだ。
「時に…お前は最近何に、興味を持っているのだ?」
ユダの問いの意味する事をわかっていながら
「地上の歴史を紐解く事、でしょうか?」
嘘では無い嘘が、シンの口をついて出る。 シンの心のある場所。 それは、だたひとつ。
だけど、決して、言ってはならない「場所」
「そうか…お前は勉強熱心だからな…」
硝子のテーブルを挟んだ向こう側から送られるユダの視線が、シンを酔わせる。 グラスの赤い液体が、不自然に揺れる… 気づかれないうちに一気に飲み干す…
「…おいしい……」
驚くユダの視線を欺く為につく、嘘では無い嘘。
「さぁ、もう一杯……」

捧げられるモノならすべて、捧げた。
わたしのすべての目標で わたしの心のすべてを支配している…
あなたがいてくれて よかった わたしは、永遠(とわ)にあなたと共にありたい
我がまま過ぎる、想いだとしても……
いつしか、酔いは眠りに変わり、心は、静かな寝息を立ててしまっていた。

「………シン…?」
答えの無くなった水色の髪の青年を見やる、ユダ。 手にしたグラスが今にもその細い指から離れてしまいそうになっている。 立ち上がり、その手から奪い取り、ふたつ並べて、テーブルに置く。 窓の外には深い夜の闇が降りている。 少し冷えた空気を暖める為に点した暖炉の炎が、眠るシンの横顔を照らす。 酔いのせいか?その頬が薄紅色に染まっている。 寝息が、ユダの頬に届く…
「……仕方の無いやつだ。大方、夕べは、徹夜だったのだろう?少しは自身の身体を厭え」
寝入っているシンを見下ろしながら、ユダは薄く、笑った。

息も止まるような時間、 自分の髪をユダが梳いている、心臓の音が聞こえそうな距離に…
愛しいぬくもりが……
「…ありがとう、ユダ……」
「礼を言われるような大した事では無いぞ?」
「でも…言わせて下さい………ありがとう、と…………」
「…………あぁ…」
並んで座った泉の水面に落ち葉が起こす波紋が幾つか、広がる。 何か言葉をと、探しあぐねても、シンの唇からは、溜息ばかり……
「…どうした……?俺は、お前のハープの音色に惹かれてやってきたのだ。聞かせてはくれないのか?」
「…………ぁっ……」
「………いいか?」
「…はい」
どうして、ユダは、こんなわたしの傍にいたいと、 そう、言うのだろう…
そして、わたしは、どうしたいと、願っているのだろう…
今は、自分の心が、わからない…
乱れた心が、ハープの音色をも乱す、 気づいたユダが、そっと、弦をすべるシンの指を捕らえる。
「そんな無茶をしては、指を痛める…何か、あったか?」
そう…あなたは、そんな顔で私に問う、
何か、あったのかと…心配そうにわたしを見る…
その視線が、その言葉が、私を苦しめているのだというのに…
…罪な方だ、あなたは……
「夕べ……」
ふいに ユダが、沈黙を破って、話し始める。 ドキリと シンの鼓動が跳ね上がる…
「無理に遅くまで引き止めて悪かったな…」
「…あっ……いえ、わたしこそ、眠り込んでしまうなんて……それに…あ、あなたのベッドに……」
言葉が、乱れ、揺れる…
「…気にするな。お前をベッドまで運ぶのには、いささか苦労したがな」
「…………………!?」
緊張を解く為に飲んだシェリー酒が仇になり、眠り込み、あまつさえ、ユダと一緒のベッドで眠っていた、
シンの思考は、今にも、混乱を起こしそうだった。 自分がどうして、こんなにも動揺しているのか、
どうして、こんなにも息が苦しくなるのか、 ユダの言葉、ひとつひとつが、シンを狂わせて行くようだった。
「………ユ…ダ…」
シンはユダの言葉をさえぎるように、その広い胸に自ら顔を埋めた。
「………シンっ!?」
「もう……何も言わないで……」
「………………」
「…少しの間だけ……こうしていてください…」
湖水を渡る風が、二人の周りを通り過ぎる。
陽光、 風、 花の香りさえ、 抱き合う二人に遠慮しているように…
「……シン………」
「……は…い……」
「時間は、あるか…?」
「…えっ…?」
正面からユダの視線を受け止めながら、シンは、何も考える事が出来なくなった。 微かにうなずくだけが、シンに出来た、こと…… 「…さぁ……こちらへ…」
差し伸べられた腕を絡めとり、 その熱に身をまかす。
ユダの意図が、何処にあるのか、 瞳を閉じながら、待つ、シンだった……


next story……

■風の香り story 1 ■



「……シン……」
縋りつくシンの痩身を抱き止め、ユダは、そのしなやかな水色の髪に顔を埋めた。
深く息をする為、ユダはその胸を大きく上下させた。
「…行こう…」
先へ進む為の言葉を発し、合わせていた胸を離し、促す… 視線をシンに繋ぎ止めたま……
「…………」
俯いたまま、頷く、シン……
風が、何処からか、花の香りを運んで来る 鼻腔を擽る匂いが、シンの脳裏を染めていた…
何処までも 
甘く
何処までも 
切ない …香り……
耳元を過ぎる風が、互いの想いを絡ませていった…

肩を抱き合いながら、歩を進める二人の前方に見えたユダの私邸。 我知らずに息を飲み込むシン…
細い肩が、僅かに揺れた……その密かな想いを抱き留めるようにユダの左腕が、力を持つ。
二人の間には、何も無い、と、告げるように…… しかし、次の瞬間、シンの表情が、止まった。私邸の門の前に人影が、見てとれたのだ。
シンは、ハッっと凭れていたユダから離れた。
「……あっ………」
何故?と問う視線に他者の介在を示したシン。 戸口に立っていたのは シヴァ。 その場に留まったまま、動かないシンを背後にユダは、シヴァの前に立つ。
「どうした?何か、私に用でも?」
しかし、シヴァの視線は、シンを捕らえたまま、動かない。 冷たい程の声音が、震え、尖ってゆく…
「……ええ………」
シヴァの視線は、シンから離れない。射るような視線にシンは、思わず目を逸らした。
その染まった頬を視界に入れた瞬間、踵を返し、走り出す。
「……どうしたと言うのだ…?」
不審気に声を出すユダにシンもまた、いとまを告げた。 シヴァの視線が、怖かった… 不安が、一気にシンの心を乱す……
「…あ、あの……私も…………」
しかし、ユダは、その言葉を最後までは、言わせなかった。 シンの唇をユダのそれが、塞いだからだ。
「………ユ、ユダ……!?」
いくら、ここはユダの私邸だといっても誰が見ているか……
そんなシンの抗議を聞き入れる風も無く、ユダらしかぬ強引さで、シンを中へと引き入れた。

目覚め始めた春が、柔らかな日差しを室内に注ぎ込む。
飾られた花々が、優しい香りを部屋中に満たしている。
揺れるレースのカーテン、
揺れる髪、
揺れる、心……
今、ユダは、シンの瞳を正面から見つめ、ゆっくりと抱き寄せる… 触れた先から流れ込む体温が、シンの鼓動を早めていく…
ユダの意図する事がなんなのか…

…心が、揺れた…

触れた唇が、濡れた音を発するたびに、シンの身体に熱がともる……
ユダが耳元で囁く言葉を閉じた瞼で感じながら、

心が、濡れた…………

「……ユ…ダ………」
思考が、停止する。 シンのすべての感覚がユダに向かう。 声、 音、 熱、 何もかもが、禁じられた欲望を呼び起こす鍵…
唇が… シンの首筋を伝う…ゆっくりと、舐め上げる唇が、耳元をきつく、吸い上げる…
途端、自分のモノとは思えない、甘く濡れた声が漏れる……
「……っあ……んぁ…………」
反り返る背を痛いほど抱きすくめられ、シンは、激しい眩暈に襲われていた。
己を抱き締めている腕の感触…
身体中の熱を呼び起こすようなユダの淫らな唇の熱さが、現実としてまだ、受け入れられなかった。
ただ、湧き上がる衝動に身を奪われていくのを術も無く、抱かれているしかない。
「…ユ…ダ……だめ……です………あぁっ……!」
抗えない想いに囚われながらもシンは、ユダの腕から逃れる弱々しい抵抗を試みる。
言葉とは裏腹の熱を持った身体を預けながら……

揺れる、
濡れて、
声を発する…
腕も折れよと 抱き締めた腕(かいな)は 己のモノ
抱き合う事さえ 罪だと言うのならば 共に落ちよう 
奈落の底まで お前となら 怖くは無い
永遠の刻を お前と共にありたい
俺をお前の裡(なか)に入れてくれ
たとえそれが 神に背く事だとしても…

「……あっ……あっ……!!…ユダ…………も……もう……!」
「…………………ッ!」
強く突き上げる感覚にシンは、歓喜の声を上げた…
振り仰いだユダの額の汗が、シンの白い肌を濡らした……
刹那、 木々の間を耳を引き裂くような音がした。
哀れ大樹は、不本意な死を与えられた…

「……シン………シン…………お前を……絶対、許さない……!!」
狂気をはらんだシヴァの瞳が、ただ、一点を見つめていた………

……next story


■見えない距離 story 1■



指、
頬を滑る指が、確実にシンを捕らえていく。 ゆるく流れる時間が、二人を繋ぐ。
窓の外を流れる風は、何処までも優しく、蒼穹へと舞い上がっていた。
そして… 訪れた、昨日と違う時間……

「……シン……?」
すでに高い位置に昇った陽を受けながら、窓辺の花瓶が、虹の光を作り出している。 はらりと落ちた花びらに視線を合わせながら、静かに答える、シン…
「……はい…」
「まだ……行くな…」
瞳を閉じたままのユダが、シンの華奢な腕を引き寄せる。 されるがままに再び、ユダの隣に横たわる……
「…はい………」
答えるたびに自分が変わっていくのを感じていた。 傍らの密かな体温がどうしようもなく愛しい…
身体の奥から込み上げてくる想いにシンはもう、逆らえなかった。
(………もう、あなた無しでは生きて…いけません…!……ユダ……ユダ……わたしの……ユダ……)

同時刻、 宮殿の庭を彷徨うシヴァの姿があった。 その肢体から、黒いオーラが揺らめいていた…
一度、暗黒の森に迷ったシヴァの心が、再び、その森の入り口に立とうとしていたのだ。
(…シン………シン……お前さえ、居なければ……お前さえ………!)
シヴァの慟哭は、憎しみの風となって天界に吹き荒れた。 雲が走り、陽が隠れる。 深く色濃い影が、そこここに現れ始めた……
天界は、一人の天使によって、流転の運命を辿り始めた……
「どうしたというのでしょう…?」
天空城に集った六聖獣達は、事態の異常さを感じながらも、その根源が何処にあるのかまだ、掴めないでいた。
「ゼウス様はなんと?」
レイが、ゴウに問う。
「……ゼウスか……」
ユダが自嘲めいた声音を吐く。
「………………」
そんなユダの腕にそっと触れるシン……
「ゼウス様は、俺達に原因を突き止めろと」
「それだけかぁ??」
ゴウの報告にガイが不満げな声を上げる。 この頃のゼウスは、すでに天界の長であって、長では無い存在になりつつあった。
すべての理に反するように、無力な地上の生き物に、その神の手を振るっていた。
ユダは、そんなゼウスの所業に心の限界を感じていた。

――天界は、もう、天使の住む場所では無くなった ユダと心を共にするルカも同様な嘆きを抱えていた…… そして、それがいつか抱えきれないモノになる事を今は、まだ誰も気づいていなかった…
「…ユダ……どうして……僕では、ダメなの?」
瞳の色を無くしてしまったシヴァが、呟く。

――失くしてしまえ、お前の想いを邪魔するモノを…

囁く、亡霊の言葉、そのままに……

「ユダ…ユダ……もっと、僕を、見て……?」


「…話、ですか?」
図書館で調べ物をしていたシンにシヴァが、願い出る。 どうしても二人きりで相談したい事が、ある、
その悲痛なまでの視線にシンは、シヴァを受け入れるしかなかった。 午後、招かれたシヴァの館の扉を叩く。
空は、相変わらず、陽の光を失い、風は、シンの力の元から離れようとしていた。
―もしかして… 現在の状況にシヴァが……?
ふと、過った考えを否定し、扉を開けたシヴァに促されるまま、中へと、進んだ……
「……シヴァ……?」
話がある、そう言ったシヴァの真意。 それは、閉ざされた部屋によって、シンの知ることとなる。
「…なんで、僕の話を真に受けたりしたの?僕が、あなたの事を疎ましく思っていたことなんて、
とっくに知っていた筈じゃなかったのかい?なのに……」
「シヴァ…わたしは……」
「…僕の悩みを聞いてやるつもりだった……なんて、綺麗事は言わないでよ?
そんな話をする為にココに呼んだ訳じゃないんだから……」
少しずつ、二人の距離を縮めてくるシヴァ。 その手にした硝子の小瓶をシンの眼前に掲げる。
「これ、なんだと思う?」
「……………」
「この色……この香り…博識高いシンなら知ってる筈だよね?」
色を変えたシヴァの表情は、すでに彼の者ではない。ただひとつの思いに囚われてしまった哀れな迷い人……
「…リンドゥス………」
「ふふ……当たりだよ!さすがシンだ。じゃあこれがどんな効能なのかも……知っているよ、ね…?」
悪魔的な微笑みと共に、小瓶の蓋を開ける……
部屋の中に酔いを誘う、甘い匂いが、漂い始める……
「……ねぇ、これを飲んで……?」
「……………………!?」
「何を驚いてるの?」
「……シヴァ……あなたは、いったい………!」
「いいじゃない……飲んで………シン……」
すでに人格さえも変わり果ててしまったのか……
シヴァの瞳は、何処までも暗い闇の底に繋がっているかのようだった…
リンドゥス。
暗黒の森に存在するという花の名前。その実が抱いているのは、 「毒」
一定時間の身体の痺れを与え、感覚を鋭くさせる。
「…少しだけ……少しの時間だよ……あなたが動けなくなるのは…… いいじゃない…僕だって…欲しいんだ……ユダが……」
「………えっ……?」
「何?不思議そうな顔をして………だって……いくら僕が、ユダを慕っても…傍には、いつもシンがいる……
僕なんて…ユダの心の隅にさえ、存在しないんだ……だけど、もう、僕は、我慢出来なくなったんだ……
ユダが欲しい……僕だけのユダになって欲しいんだ……シン……ユダに……抱かれたんだろう…?
僕、見てたんだ……あの日……」
「………………!?」
「…ねぇ……ユダは、どんな風にあなたを抱いたの…?……どんな声で、あなたを呼んだの……?
ユダの指は、あなたの肌の上をどんな風になぞって………」
狂気の孕んだ瞳が、シンの身体を凍りつかせる。 シヴァの瞳から、涙が、零れ落ちた。

一瞬、 シンの警戒が緩む……だが、次の瞬間、シンの唇に硝子の冷たい感触………
流し込まれる液体をなす術も無く、嚥下していく、シン……
甘い芳香に軽い眩暈を感じる…… 喉元から、熱い痺れが、全身に広がる。 立っていられなくなる……
崩れ落ちた床で、シヴァの言葉を聞く……
「…僕にも感じさせて…ユダの匂いを……あなたの肌に残る……ユダの……」
「…や、やめ…………っ?」
すでにシンのモノでは無くなった身体がシヴァによって開かれていく。 合わせた肌の熱さだけが、シンの感覚のすべてだった。
毒の効果は、シンの感覚を極限までに鋭敏にし、シヴァの指先の動きにさえ、
不本意な歓喜の声を上げてしまう……
意図しない涙が、行く筋も頬を伝う。 唇でそれを拭いながら、夢幻の中のシヴァが、吐き出す、言葉……
「…ユダ……ユ…ダ………あなたの唇を……感じる……」
「…あぁ……………や……めて…………」
床に広がる無残に解かれたリボン…
閉ざされた空間にシンの細い声だけが、響いていた……

  next story……

■予感 story 1■



…ぁ……ぁあ……!やめ………っ!?
… まだ……ダメだよ……?

「…シン…?」

声が―― 聞こえた気がした。
それは、微かな小鳥の囁きにも似た音色だったが、ユダの耳には、確かな音として、響いていた。
ゼウスからの呼び出しを受けていたユダ。 しかし、たった今聞いた心の声が、ユダを駆り立てる。
踵を返し、シンの私邸に向かう。
そして… 灰色の雲に覆われ続ける天界の空のようにユダの心も、次第に色を失っていった。

「シン!!」
飛び込んだ扉の向こうにシンの姿は無かった。 鍵も掛けずに開いたままの扉が、再び、ユダの心に不安を呼び起こす。
(…何処だ…?シン!!何処に居る!!)
シンが守護する風の力は、すでにその効力を失い、天界に吹く風は、 邪気に充ちたものでしかなく、呼吸さえ、汚れたものに変えていた。
(…これほどの邪気がこの天界を覆うなど…あってはならない事だ…何故、こんな事に…)
湖の畔まで来たところで、対岸から圧倒的な邪気を感じ取ったユダ。
「…この方向は………シヴァ……?」
湖畔の小さな家が見えた。 緑色の屋根が、靄に覆われて、いた……

「……ユダ……ユ…ダ…………」
指先さえ、動かせず、シヴァに蹂躙される肢体をなす術も無く、唇を噛み締め、耐えるシン。
この期に及び、シンの心にシヴァを哀れむ心が、込み上げて来る。 自分も同じ想いをユダに抱いているのだ。そんな自分がシヴァを責められるのか?
天使にあるまじき、邪まな想いを……
「…なんだよ……そんな顔をして…僕を哀れんでいるの?…何処まで…あんたって人は…
そう…僕に何をされてもいいって言うんだね…だったら、思い通りにしてあげるよ!!」
シヴァの心が、対岸に行ってしまう事が恐ろしくて、シンは、言葉を発する事が出来なかった。 もとより、薬の効果がシンの言葉を奪っていたのだが…
(…ユダ……ユダ………たとえ私がどんな事になろうと… …心だけは、あなたのものです…永遠に……!)
息苦しさを感じながらシヴァの私邸の門をくぐったユダの心に今度は、 はっきりとした声が聞こえていた。
(ここに…シンはいる……!)
ためらいもせず、扉に手を掛ける、鍵が掛かっていると知ると、己の力を持って扉を破った。
「シン!!」
捜し人は、無垢な床の上に横たわり、その白い肢体を晒していた。 戒められている気配が、無いというのに、こちらを見て、瞳を見開いているシンは、
微動だにしなかった。 長い髪が、床を覆い、投げ捨てられた眼鏡は、その形を失っていた。
そして、ユダが贈ったリボンは、無残に…切り裂かれていた……
目の前の出来事が信じられず、立ちすくんだままのユダ。 声を出そうにも、身体を進めようにも、己の意思が、凍ってしまったようだ。

シンが…シヴァと……?

その時、微かにシンが身じろいだ。 それは、ユダの視界から逃れようとするかのようで……
「………!?…身体の自由を…奪われているのか……?」
シンの金色の瞳が涙に濡れる。それがユダの問いへの肯定となった。
「……どうし………ユ……ダ……??あなたがどうして!!」
まだ、この世に留まっていたのか、シヴァの精神が、戸口のユダを捕らえる。
シンに圧し掛かったままの、哀れ姿のままで、驚愕に彩られた、顔、で……
「…そこを…どけ……シヴァ……」
「…うっ…!…あぁ……っ!!」
怒りに満ちた視線が、シヴァを絡め取る…
弾かれた様に、シヴァは部屋を転がり出る。 その姿を追いもせず、ユダは床の上のシンを見続けた。
(……そんな風に…見ないでください……どうか……私を…見ないで…!!)
シンの声が、ユダを拒否していた。 陵辱された身体を見せまいとまだ、震える腕を宙に泳がせる。
「……泣くな…シン……」
白い翼が、シンを抱いた……
「…もう……泣くな……私が、居る……」
動く事が出来ないシンの瞳から、澄んだ涙が後から後から、溢れ出ていた……
「…シン……私の………シン………!!」

……シヴァよ…
我らが、仲間となれ、その心持て……
邪悪なる我らと 共に 天に仇なそうぞ…
我が敵 ゼウスを倒すべく……
シヴァよ、その手を伸ばせ……
さぁ、我らと 共に……


End