いつでも傍にいて



「やっぱり、俺の側が一番だろ?」
そんな風に俺様モード全開なコイツ。架月裕壱、国立大をストレートで合格した、俺の自慢の恋人だ。自慢は自慢なんだけど…
「…そんなの知らないよ!」
俺はいつも架月に翻弄されてる。一度でいいから、架月をギャフンと言わせてみたいもんだ…

「おめでとうっ、渉くん、特賞だよ」
商店街に高らかに鳴り響いた真鍮のベルの音。
「……へっ?」
俺は、一等賞のPSPから目が離せなくなった…

『温泉旅行ペア券』と書かれた熨斗袋を見つめる俺。
「どうしよう…温泉だって…」
「どうするったって当たっちまったもんは行くしかないだろう?」
「温泉だぜ?ジジくさいよ…」
俺はPSPが欲しかったのに…と心の中で呟いた。ようやく週末がやってきて架月と二人夕食の買い物に出たんだ。そしたら、なにやらいつも愛想のいいレジのおばちゃんが福引券を一枚くれた。
「帰りに引いていくといいよ。ほら、そこの八百屋の前だからさ」
すっかり常連になった俺達に「サービスよ」ともう一枚、架月に渡す。たぶん、おばちゃんの目当ては架月。ったく…何処でも誰にでもオモテになりますねぇ、架月さまは。
せっかくだからと架月と俺が一回ずつ引く事にした。そして、何故か、架月がポケットティッシュで、俺が「温泉旅行」生まれてこの方、懸賞なんてものには縁の無かった俺なのに…どうして、温泉旅行。
「なんだよ…俺と温泉に行くのはイヤなのか?」
「えっ?架月と温泉?…なんだよ、架月と俺で温泉かよ」
「…渉…お前思いっきりイヤな顔しやがったな…」
「あ、いや……まさか、架月が温泉好きだとは知らなくて…」
不敵な笑いを浮かべながら二人の距離を縮めてくる。
「な、なんだよ…架月…」
「…来週から俺、テスト休みなんだ…お前は、ヒマだろ……」
「えっ…?え……ええっ!?」
「…そういうことだ」
こんなときまで、俺様モードかよ……

そして、一週間後。俺達は、一軒の宿屋の前に立っていた。
「うわっ…凄いや、この景色…」
「だろ、ネットで調べたらこの季節、この川は絶景だってあったからな」

通された部屋は純和風。濡れ縁からは手入れの行き届いた日本庭園が見える。
「ま、商店街の福引券だ。こんなもんだな」
ふんと鼻を鳴らして部屋の中を見回す。
(…まだ仲居さんがいるのに…失礼な物言い、やめてくれよ…)
俺は冷や汗を流しながら仲居さんの説明を聞いていた。ここの自慢の露天風呂は24時間いつでも入れるそうだ。玄関から見えていた渓谷沿いにあるらしい。
「後で一緒に入ろうな、渉」
だからっ、まだ、仲居さんが居るってのっっ。
万事がこの調子でなんかまた、俺は架月に振り回されっぱなしだ。

架月のテスト休みにあわせて連れ去られた、といった感じだった。受験生の俺に「ヒマだろ?」なんて聞く恋人がいるもんか…ま、妙に腫れ物を扱うような扱いもいやだけどさ…だけど…やっぱり、受験生としては…
「何、悪あがきしてんだ?」
飛び乗った新幹線の中で参考書を広げた俺に注がれた冷たい視線。
「たった1時間そこら勉強したってどうにかなるもんじゃないだろ」
…なんだとぉ…?そりゃ、架月は秀才で俺なんかの頭とは段違いで…
「…渉…せっかく二人でいるんだ…本、しまえよ…東京に戻ったら…俺が遅れた分、見てやるから…な?」
ふいに柔らかい口調が降ってきて、俺はドキリとする。そっと見た隣の架月はこちらをじっと見ている。その視線が、あんまり、熱くて……
「…なんだよ…赤くなって…変なヤツ……」
嬉しそうに笑って俺の髪を撫でる架月の手…あったかい…
「…少し、息抜きが必要だよ、お前には……」
「…えっ…?」
恥ずかしくなって視線をそらしていた俺は、もう一度架月を見た。だけどもう、いつもの横顔に戻っていた。俺の為に時間を作ってくれた…?
この前、実力試験の結果が思ったより悪くて焦った俺は、マンションに行っても参考書から目を離さなかった。だって、架月と付き合い始めたから成績が落ちたなんて思われたくなかったし…そんな事で悩ませたくなかったから…だけど架月は……
(きっと…余裕のない俺を見て…この旅行に…)
「…ほんと、わかりにくいやつ…」
小声で言ったつもりが、聞こえていたのだろう。ムッとした声が返ってきた。
「何か…言ったか?」
なんだかなぁ……幸せだ……

「なんだよ、週末のアリバイ作り?」
「頼むっ!」
川村が以外そうな顔をして聞き返してくる。
「アリバイなんて今更じゃないのか?だって、お前、毎週架月んとこに行ってんだろ?」
「そ、それはそうなんだけど…」
今回は、お泊りっていっても小旅行に出掛けるわけで、連絡があったからといってすぐに自宅に帰る事は出来ない…それに…
「…わかったよ…結局、二人きりの旅行を邪魔されたくないんだろ?」
こんな時、事情を知っていて、察しのいい友人を持つと何かと助かる。
「恩に着るよ。持つべきものは親友だよな」
「そのかわり…」
「な、なんだよ…条件付きなのかぁ?」
…こういうところは、ちゃっかりしてんだよな…ま、いいか、二人きりの旅行の為だから…
「でもさ…」
「ん?」
なんだよ、急に真面目な声、出してさ…
「お前達、よく続いてんな…」
「……川村…」
「正直…俺、長続きなんてしないだろうなって思ってた」
「……………」
「ま、俺も物分りのいいつもりだったけど、親友が男と付き合う、なんて聞いて初めはビックリしたんだぜ。だけど…」
通りの向こうで女子大生のはしゃぐ声がした。風に揺れる長い髪が陽に輝いて綺麗だと思った。そう、だよな…普通の高校生だったら彼女達を眼にしたら即座に品定めが始まるよな…『普通』か…
「おっ。いいねぇ、彼女達」
「…なんだよ…川村。美月さんはいいのかよ」
「それとこれとは別。綺麗なものはありがたく鑑賞させていただかなくては」
「お前らしいよ……」
「ああ、だろ?だから…架月と一緒にいるお前もお前らしいよ」
「…え?」
「架月と一緒の時のお前が一番お前らしいって言ってんだよ」
「なんだよ…それ……」
「だから、出来るだけ、応援してやるよ、不肖の親友を持った俺の宿命だからな」
架月と一緒にいる俺が一番俺らしい…?そんな風に…俺は…俺達は…1年前までは知らなかった感情。1年前まではわからなかった想い。それが今、自分らしさになっている…?
「俺……」
「ん?」
「やっぱり、架月じゃなきゃダメなんだ…架月が好き…だから…」
「そして、結局俺は、ノロケを聞かされる…」
大げさな溜息をついて、肩を落とす親友を横目に見て、陽の落ちかけた西の空を見た。
そろそろ陽が暮れる…バイト、終わったかな…帰ったらメールしてみよう…
俺は、川村の背中を叩いて先を促した。今更照れくさくって言えないけど「ありがとう」って心で呟きながら…
「音、しないな…」
「え?だって……」
俺達は仲居さんに紹介された旅館前の渓谷沿いに夕飯前の散歩に出ることにした。
新幹線で北に1時間、岩手の山中にひっそりと建っていた玉林館。そこには雑踏も渋滞も時間の流れさえ、無かった。
「でも、音は聞こえるよ。さっきから水の音が…」
「ん?音がしないって言ったのは、そういう自然の音と俺達の呼吸の音しかしないって意味だよ」
「そう、か…」
なんだ…同じこと、思っていたのか…
俺達の呼吸の音…今は、規則正しいリズムを刻んでいるけど…架月が触れた途端、そのリズムはあっさり崩れるんだよな…あれっ……ヤバイ……
「なんだよ、息、乱れてるぞ。もう、へばったのか?」
「んな訳…ないだろっ」
ここ一週間、この日の為って思って、架月に逢っていなかったから…俺……ヤバイ…
そんな動揺し始めた俺なんかに気づかないのか、先を歩く架月の足は緩まない。だよな…何やってんだ、俺…こんなとこで…暫く無言のまま歩き続けると…
「ほら、この先」
架月が指差した先は緑が開けていた。標高はそんなでもないんだろうけど、そこからは岩手の街並みが覗けていた。関東はもう梅雨に入っているというのにここはまだ、初夏の香りがする。乾いた空が遠くまで望める。気持ち、いい…
「…もう少しだ…頑張れよ…」
「えっ…」
ゆっくりと架月の腕が肩に回される。その温もりを感じていたら、俺…また…
「待ってるから…お前が俺のところに来てくれる日を…」
架月が沖縄旅行の時に俺に言った言葉…
『来年の春になったら一緒に住もう』
そうだ…その夢を叶えるためには俺の大学合格が必須条件なんだ…頑張らなきゃな…この腕の傍にいつも居る為に…頑張らなきゃ、だよな……

「なぁ、架月、あれ……」
「ん?」
澄んだ空気をいっぱい吸い込んで身体が軽くなった俺は、足取りも軽くなって山道を下っていた。すると道端に女の子が座っていたんだ。こんな時間、こんな場所に?違和感を覚えたが、迷子かもしれないと声を掛けた。
「どうしたの?一人で来たの?お母さんは?」
女の子は大きな瞳に涙を溜めて俺を見上げた。
「……お兄ちゃん、だあれ?」
その愛くるしい姿が貴子ちゃんを思い出させた。薄手のピンクのワンピースが良く似合っている。
「帰る道がわかんなくなっちゃったのかな?」
「…う、ん…」
「そっか…じゃ、僕達と一緒に行こう。麓まで連れて行ってあげるよ」
「……ダメっ」
思いもよらない大きな声で拒絶され、二の句が告げなくなった。俺、なんか悪い事、言った…?
「…何か、探し物?」
「…架月」
固まってしまった俺のかわりに架月が女の子に尋ねた。探し物って、何…?
「渉、どうやらこの子、ココで落し物をしたみたいだよ」
そう言われ、もう一度女の子を見た。確かに仕立てのいいワンピースを着てはいるけれどサンダルの片方は無くなり、両手は土で汚れていた。膝も、泥で汚れて…
「一緒に探してあげよう。ね?」
途端に女の子に笑顔が戻った。おいおい…この子の守備範囲じゃないだろうな…架月…だって、女の子のほっぺが少しだけ、赤くなっていたんだ…まったく…
本当なら日暮れも近い山の中だ、強引にでも麓に連れ帰ったほうがよかったのだろう。しかし、女の子が無くしたという物を聞いたとき、俺達は願いを聞き入れる事にした。
おまけに麓に連絡しようにも携帯は圏外。そして、無くしたのは「指輪」幼馴染にもらったという、約束の指輪。その言葉がかつての俺達を彷彿させ、絶対に見つけてやらなくてはという気持ちにさせられたんだ。
だけど、いくら探してもその指輪は見つからなかった。
「…ねぇ、もう帰ろうか…」
西日に照らされた女の子の横顔には、大人じみた諦めの表情が浮かんだ。彼女なりに今の状況を理解してくれたのだろう。
急いで麓に降り、家に送り届けた。家人が心配して、街道沿いまで探しに出ていた。
「ごめんなさい」
うっすら涙を浮かべて女の子はお母さんの胸に飛び込んだ。あれ…?あの男の子……
「…ワタルくんっ」
「…え?」
でもそれは俺を呼んだのではないことがすぐわかった。今まで泣きじゃくっていた女の子が涙を拭いて「ワタル」と呼んだ男の子の所へ走り出したのだ。二人の会話が聞こえてきた。
…ワタルくんは…女の子の為に無くした指輪を探していてくれたのだ。その男の子の顔も泥で汚れていた。差し出した小さな手の平には、赤い石がついた指輪がひとつ、乗っていた。よかったね…本当に……
「なぁ、架月…」
「ん…」
「なんだか…いい気分じゃねぇ?」
「うん…そうかもな…」
「帰るか…」
「…うん」
身体は疲れているというのに俺の心は温かかった…「ワタル」と呼ばれた男の子の母親から昨日、お弁当持参で山へ登った時、二人は喧嘩をして女の子から指輪を取り上げてしまったのだと聞いた。女の子がいつもの時間になっても帰らないので、事情を聞き出し、捜索に出るところだったという。幼馴染の二人はとても仲がいいようだ。たぶんこのまま、二人の気持ちを育てていったら…
「結婚…なんてするのかな…」
「渉…?」
「ううん…なんでもない……」
恋人…結婚…俺達が普通の段階を踏めない事はわかっている。だけど、この気持ちも本物だ。無くしたくない。今は、少しだけ、心が痛い…隣の温もりは、無くなりはしないというのに…
「どうしたんだ?」
「い、いや…」
(…い、今更だけどさ…そ、そりゃ、マンションじゃ一緒に…入ったさ…だけど…)
「こんな時間、誰も来やしないさ」
架月はさっさと先に湯につかり、岩に凭れてくつろいでいる。
た、確かに、こんな時間だし、誰も来ない、とは思うけど…でも、めちゃくちゃ恥ずかしいんだよっ。
くずくずしていたら夜の寒さに鳥肌が立ち始めた。俺は観念を決めてそろそろと湯に脚を入れた。冷えてしまった身体には高すぎた湯温に肌がピリピリした。
「…大丈夫か?」
思いっきりしかめっ面で入ったから架月が心配そうにこっちを見てる。
「うん、もうだいぶ慣れた」
浸かってみればなかなかいい心地。はぁぁ、なんておじさんくさい溜息も出そうな感じだ。架月は…少し離れた場所に岩に凭れて眼を閉じている。今日は、山の中を何時間も歩き回ったからな、ちょっと疲れたのかもしれない。湯気が架月の姿を霞ませている。温まって淡く色づいた頬がなんだか、色っぽい…軽く上向いた喉元に汗が伝っている。身じろいだ拍子に胸元で湯が波立つ…
「何してんだよ、渉」
「え?」
いつの間にか架月に見つめられている事に気づいた。
「何って…」
「もっとこっちに来いよ…そんなに離れてちゃ、顔も見えないじゃないか」
「うん…」
俺は、湯に浸りながらそろそろと進み、架月の隣に座った。
「やっと、二人きりになれたな…」
「うん…」
東京を離れてまでもトラブルに巻き込まれる自分の不運さに嘆いていたが、こうして過ぎてしまえばこんな事でもいいのかな?って思えるようになっていた。
口を閉じてしまえば、聞こえるのは川のせせらぎの音と葉ずれの音だけ。夏の気配を含みながらも渓谷を渡る風はほどよい心地よさを齎してくれる。湯に浸かってしまえば、視線が川面と同じになる。目の前の川のせせらぎが、疲れを癒してくれる。
夜の闇が二人の周りを囲んで…本当に二人だけの世界、って感じだ…らしくない、感傷に浸っていたら目の端に明かりが飛び込んできた。
「誰か、来たのかなっ?」
慌ててタオルを引き寄せた俺の手をつかんで架月が笑う。
「違うよ…よく見てみろ」
視線だけで示した先には、小さな明かりが二つ、三つ…
「あ、ホタル…」
「…だな」
対岸の草むらの中に見え隠れする淡い光。まるで風に舞う風花のようにゆらゆらその姿を水面に揺らす。その姿が次第に増えて、幻想的な光景…
「あれ?もしかして架月、この事、知っていて…」
だから…露天風呂は夜中にしようって…
「…さぁ…どうだろうな…」
濡れた手で額の髪を掻きあげる仕草にふいに込みあげた、感情…
「渉…?」
伸ばされた右手が、俺の首筋を撫で上げる…そんな風にされたら…俺…
「だ、だめだよ…架月…こ、こんなところで…」
「こんなところじゃなきゃいいのか?」
「そういう訳じゃ…」
「悪いけど……待てない…さっきから…そんな顔、されてちゃ、な…」
そんな俺様な言葉でいつも俺の抵抗を封じ込めてしまう…でも…俺も…欲しい…
「…んっ……あぁ……」
温泉のせいかな…なんか…身体が、熱い…架月が触れた場所からどんどん温度が上がっていって…もう……どうにか、なりそう……
「…渉……わた……る」
耳元に掠れた架月の声が流れ込んでくる…背中を走った感覚には…いつも、逆らえない…
「か、づき……あっ…」
深く求めてくる口付けは大好きだ…俺を求めている架月が痛いくらい伝わってくるから…だけど、いつも追いきれなくて息が、切れてしまう…
「……あ……んっ……も、う……架月…っ」
二人の動きに合わせて湯が波立つ…声が、夜の闇に吸い込まれていく…だけど、それはもう…止められない、衝動で……
「あっっ……んんっ…」
そして…俺は……架月を感じて…意識が霞む……
「…好きだ……好き……渉…っ」
「お…俺も……あっ、あぁ……」
もう、俺の名前を呼ぶ架月の声しか、聞こえなくなっていった………




「……ったく…」
温泉の温度か、架月に与えられた熱なのか、前後不覚になった俺。
「…湯あたりするなんて…」
枕元で畳に突っ伏したまま、あきれたように言葉を放り投げた。ごめんよ…俺ってば…
「ごめん…架月……」
「そうだ、お前が悪い。心から謝れ」
「……うっ」
ヤバイ…目がマジだ……だ、だよな…たぶん、俺だけ先に……だったから、架月はまだ……
「俺、このまんまじゃ、寝られそうも無いなぁ…」
じりじり膝でにじり寄って来る架月を防ぐ術は俺には無くて…
「……そう……触って……渉…」
濡れた声で俺の名前を呼ぶ……架月…架月……好きだよ……




いつでも傍にいろよ

いつでも傍にいるよ

だって、俺の場所はソコだけだ

そうだよ、ここはお前だけの場所だ

二人のそれぞれの場所

それは、二人だけの場所

二人の為の場所

だから…いつでも傍にいて欲しい、

だから…いつでも傍にいろ、俺の隣に…

俺の腕が届く、場所に……

……愛している、ずっと、お前だけだ…

愛しているよ、これからも…ずっと…





旅行から帰った3日後、川村から携帯メールが届いた。
『架月、アメリカに行くんだって?スゲェじゃん。な、いつ行くんだ?』
な…に…?……アメリカ…って…
「聞いてないよ…」


What happens to a continuation…?