「陽炎」



「ん?あれって…」

会社勤めをして、2年目の夏…
僕は、三車線の道路の向こう、こちらに向かって手を振っている男を視界に収め、
あの時間を思い出していた…







「おーい、隆也、水!」

「あ?…んだよ…寝る前にそんな飲んだら、寝小便するぜ?」

「…………!?…いいんだよ…よこせ……」

僕は、出し渋る隆也の手から、水の入った硝子のコップを奪い取った。

大振りのコップに中の水を…一気に喉に流し込む…

(……だめだ…ちっとも、乾き、止まんねぇや…)

「隆也!もう一杯!」

「…千尋!!いい加減にしとけ……」

苛立ちを含んだ隆也の口調に、仕方なく、自分のベッドに潜り込む、…

高校2年の夏休み…僕は、幼馴染の隆也と、自他楽な時間を過ごしていた…

隆也は、素行は少々、難あり、だったが、頭はよかった…

5日間で宿題の全部をやっつけ、後は、TVゲームや昼寝、なんて、

だらだら時間を過ごすことに、満足していた。

(…喉、渇いた……)

その日も隆也は、俺の部屋に泊まっていた。

高校進学を機に妹達と部屋を別にしてくれと親に懇願。

庭にプレハブを建て貰った。

(男は、いろいろ…あるからな……)

そんなで、俺の部屋は、もっぱら、溜まり場、になっていた。

煩い親の目をかわしながら、まぁ、青春と呼べる時間を過ごしていたんだ…

ああ、隆也の後姿を見ながら…さ…

(……うう……っ…やっぱり、喉渇いて…寝らんない……)

隣からは、いびきが聞こえる、

(隆也は、寝てるな…)

そおっと、枕元のペットボトルに手を伸ばす。

そここに転がる、ミネラルウォーターのボトル…

すべては、もちろん…空だ……

(…なんで、こんなに喉、渇くんだろ……)




「…おい………」

「……あっ…」

寝ていると思った隆也が、下から僕を見上げていた……

「また、飲んでんのか…?」

「……うん…」

「………はぁ…大概にしとけよ……夏が、終わったら水太りでブクブクになったお前なんて、

見たくねぇぞ?」

「…ん、わかった……」

僕は、この隆也に頭が上がんない……何でも……出来るヤツ、だからな……僕なんかと違って……

「もう…寝るよ……」






その晩、僕は、変な夢を見た…

喉が渇いてしょうがない僕は…気がつくと…海の中に居た…

身体に纏わりつく、水が、僕を満たしていった……

それは、ある意味……アノ時の快感に似て……僕は、貪るように、水を飲み込んだ……

…もっと、水が欲しい……ソレだけを想いながら………









そして、翌朝――

下肢に覚えのある感覚――

「…ゲッ………やっちまった……」

僕は、べどべとになった下着をこっそり、着替えた…

「…そりゃ、お前……欲求不満、ってことだ」

「…はぁぁ………?な、なんでだよ!……ちゃんと、定期的に抜いてるし…

僕、そんな風に……思ったこと……」

「でも……水の夢を見たんだろ?」

「………うん…」

「やっぱ、欲求不満。お前…知らないのか?…水が欲しいってのは…そういう意味なんだってさ…

…なんかの本で読んだぜ…?」

隆也は、からかうような目で、僕にそう、言う。

…欲求不満…?…な、なんだよ…それ……確かにそんな欲求、無いわけじゃないけど…だからって……

水、かよ……






高校最後に夏休みも残り一週間になった日の晩…

隆也が、酒を持参で、部屋の窓を叩いた。

「…水を飲むより、マシだぜ?」

…そんな風に、俺に笑いかけながら……

片目を瞑って、悪戯を見つけた子供のような笑顔を間近に見て…

刹那――

僕は、急激な喉の乾きを覚えた……

どうしようもないくらいの……重症な、乾きを……

「……隆也……水……欲しい……」

「…だから、お前……?」

酒瓶を差し出した隆也の手から、中身を飲み干す…

燃える感覚に思わず、腹を押さえた。

「ば……ばか!すきっ腹に一気に流し込むんじゃねぇ!」

僕は、急速にやって来た酔いに、その場に座り込んだまま、動けなくなってしまった。

「…ったく……お前ってヤツは…………」

少し……ぼんやりする頭で、隆也が、溜息をつく様を黙って見ていた気がする…

そして………隆也の顔がだんだん、近づいてきて………

…僕は……隆也にキス、されていた………

触れては…離れ……ついばむように…僕の唇の上を過ぎていく…

初めて…触れた…人の肌…隆也の………唇……

「……う…んっ………隆…也………?」

…渇きが……癒される……?



僕は、隆也の唇から流れ込む、水に……酔った……



あの時間…



僕は、もう一度、顔を上げて、道路の向こう側を見た……

気温31度の都会。

アスファルトから立ち昇る…陽炎……

その向こうにアイツがいる………

声を出せば、届く、距離に―――

何かが、始まる予感がして、僕は、手を振った……


END