「回り道」



「ど、どうしたんだよっ!?」
俺の目の前に立っているのは、およそ喧嘩とは縁の無かった千裕だ。そいつが…文字通り、ボロボロになって今にも泣きそうな顔で…
「…千裕……」
「触るなっ!…僕の事なんて…ほっとけよっ!!」
強い拒絶に伸ばした俺の腕は、情けなくも払いのけられた…ぐいっと、両目に浮かんだ涙を拭う仕草に釘付けになりながら、視界から千裕が消えるのを見送った…
(…な……何が、あったってんだよ…っ!)
納得出来ない思いで、自室のベッドに横になったが、イライラは募るばかりだ…
「…あいつ……痣だらけで……」
(……あのまんまじゃ、明日、動けねぇぞ…)
俺は……自慢じゃないが、喧嘩じゃ負け無しだ。まっ、最初っから強かった訳じゃねぇ。それなりの努力もした。…守りたいヤツもいたしな…外部からの強い圧迫で出来る、青痣。
あれってケッコー、やっかいなんだぜ?
人間の身体ってヤツは『自然治癒力』ってのがある。切り傷だって、殴られた痣だって、必死に直そうとする、だけど、どっちも副作用ってのがあんだよな……あれだけ、殴られたら……
「…かなり、熱が高くなるぜ………」
ちゃんと処置してやんねぇと…風邪んときより辛いことになんだよな……あいつの事だ、寝てりゃ治ると思って、なんにもしてねぇな…絶対……
「仕方ねぇ……見に行ってやるか……」

登り慣れた庭の木。二階のベランダに手をかけ、部屋の中を覗き込む…
「…やっぱな………」
そこには、予想通りの光景があって、我ながら、こいつの事をわかってんな…と、変な優越感を感じた。
「…なんて、納得してる場合じゃねぇや……鍵は……かかってねぇな…」
硝子窓をそっと開ける……ベッドの上に、うつ伏せのまま寝転び、苦しそうな息を吐いている千裕…
「……あ〜〜あ……こりゃ、ヤバイな…」
額に当てた俺の手に発熱を示す温度が感じられた。
(……当然の結果だって言ったって、こりゃ、すごい熱だぜ……)
とりあえず、破かれたシャツを脱がす……そこここに、こびり付いた、血の跡…腫れ上がった皮膚……
「…ったく……いったい何が原因だってんだよ……こんなに殴られてきやがって……!」

『…運動は、苦手だ……』

いつもそう言って、日に焼ける事の機会の少ない千裕の肌は、白くて…俺は…ヤバイくらいに感じていた……
(…くそぉ……相手は、怪我人だぜ?…欲情して、どうするっ!!)
そう……俺は、この向かいに住む、佐々木千裕にもう、10年も片思いをしている。その千裕が、傷だらけで俺の前に現れて…どうしたと訳を聞く前に拒絶されたんだ…内心、尋常じゃない……
「……千裕……」
俺は、もう一度、名前を呼んでみた……


「……なんで晃司がそこに、いんだよ……」
着替えさせて、傷の手当てをしてやった俺に対する千裕の第一声。
「……悪いかよ……」素直じゃない、俺。でも、それ以外、どう言えっていうんだ?千裕は、俺の気持ちなんて、知っちゃいない。そんなの当たり前だ、知られてたら…こんなに近くには、いられない…それだけは、どうやっても譲れない距離なんだ…俺と千裕の……
「……余計な事を……僕だって…もう、高校生だ……自分の事は自分で出来る……もう、晃司の手を借りなくたって……」
(……え?…いきなり、何言ってんだコイツ……)
そんな俺の心の声は、聞こえる筈も無く、千尋は、話し続けた。
「お前がそんなだから……いっつも、そんな風だから……あんな……っ!!」
天井を向いた瞳に、透明の液体が滲んできた……熱のせいもある筈だ…色素の薄い瞳が潤んで、壮絶に…色っぽい………!でも、今はそんな俺の欲望になんてかまっちゃいられない。いったい俺の何が千裕をそんなに苦しめているって言うんだ?言ってくれよ…その先を……
「……こんな殴られたのだって、晃司のせいなんだからねっ!」
飛び起きて、俺の胸倉を掴みながら、千裕は、叫んだ…
…もう、両目からは、涙が溢れてた…


『……おめぇは、晃司がいなくっちゃ何にも出来ねぇ、お人形さんだもんなっ!…いっつも、晃司、晃司ってよ……千裕ちゃんは、晃司が大好きなんだろ?ああ、そうだ…案外……てめぇら、出来てんじゃねぇの…?……晃司の方もまんざらじゃねぇんじゃねぇのか?異常だぜ、アイツの過保護ぶりはよ……それとも、もう、やっちまったのか?…ゲッ……おめいら、ホモ達かぁ?』


……千裕は、一気に捲し上げた……息を切らしながら、涙を流しながら……
(…なんで……?…そんなに俺……あからさまだったか…?他人にも…わかっちまうほど……)
…いつの間にか……セーブが効かなくなっちまってたのかもな……10年……だかんな…
「…悪い……」
謝ったって、俺の気持ちに変わりは無いけど…千裕が…コイツが泣くのだけは…見たくない……はははは………ここいらが、引き際、かなぁ…?
「……でも……」
…俺は、すべての思いを捨てるつもりで、立ち上がった……その背中に、千裕の声が、続いた……
「……あいつらの言う事に何にも言え返せなかった自分が、悔しいんだ!」
…だろうな……男と出来てる……なんて、言われちゃ誰だって…
「…違うって……そんなじゃないって……」
…言いたかったんだよな……あたり前だよ……当然だ……千裕……ゴメン……
「…言えなくて……言っちゃったら……自分に……嘘……つくみたいで…」
……え……っ?
「アイツらの言う事、否定出来なかったんだ!」
……それ……どういう……?
「僕が、晃司を好きだって知られたくなかったんだ!……あんな奴らに……」
………………………パニック…
「…ごめん……こんな事言うなんて……気持ち悪いよな……忘れてくれよ…今、言った事、全部……」
……そんな事、出来る筈、無いじゃ無いか……やっと、俺の片思いが実るって時に……俺は、ずっと、触れたくてたまらなかった千裕の唇にキスした。これが、一番、手っ取り早いだろう……
「…こ、晃司っ!?」
見事なくらい、引っ繰り返った千裕の声を間近で聞きながら俺は、千裕がどんな顔をしているか見てやる為に、そっと、瞳を……開けた…
END