昇華〜Sublimation




「…あいつら…どうしてっかな……」
見上げれば、蒼穹… だが、それが見せかけの空にしか見えない。
平穏と呼ばれる風が吹き付ける館… 覇気の無い様でもう一度、空を見上げるガイ。
「そうだな…何をしてるのか…」
その隣に並んで腰を下ろしていたゴウが、瞳を閉じる。 神との壮絶な戦い。
しかし、今は、それが夢だったがごとく、金色の光がふり注ぐ、天界。 シンがゼウスの命で降臨した後、ソレ、は唐突に始まった。地上で守護天使として勤めていた者の失踪が相次いでいた。そのすべてが地上の混沌の為とゼウスは、悲痛な表情で天使達に語っていた。しかし、その言葉の偽りが、露見した。 傷を負った守護天使が、ゼウスの暗殺を企てた。非力な守護天使にとって、敵うはずのない、相手。その決意、死をも決意したものだった。 神殿に上っていたゴウとガイが偶然にもその場に遭遇した。神の雷に打たれ、息も絶え絶えの中、血にまみれた守護天使は呟いた『すべては、ゼウスの謀』と。 その言葉が、六聖獣の疑惑に再び、波紋を伝えた。ユダが次いで、降臨した。守護天使の血の言葉を聞く為に。 ユダの心にまだ、ゼウスを敬愛する気持ちは残っていた。自分を創り、慈しみ育ててくれたのだ。ゼウスがすべてと長い年月、使えてきた。共にした時間すべてを偽りにする事がユダには、受け入れられなかった。
『愛していた…だからこそ、知りたい。真実を』
そう告げて、ユダは降臨したのだ。 しかし… 悪夢は、その夜、起こった。 一人の天使が、命を絶たれた。神殿に使えていた神官の一人だ。命を絶ったのは、ゼウス。理由も無く命を絶たれた天使の友人が、ゼウスに真偽を確かめに行った。しかし、彼もまた、神の雷に… それからは、怒りが怒りを呼び、日頃、ゼウスの行いに疑問を持ち始めていた者達が、反乱を起こした。天界に残っていた、ゴウ、ルカ、ガイ、レイは鎮静に奔走したが、その火種は大きくなるばかりだった。 神殿は、炎に包まれた。その様は、砂の城が崩れるがごとく、儚く見えた。
「…どうして、こんな事に…どうして、ゼウス様は、否定しないんだよっ」
ガイが嘆きの言葉をぶつける。
「わからない…俺にはもう…」
地に伏してしまったガイの肩を抱き起こし、ゴウもまた、悲嘆にくれた。
「六聖獣よ、お前達はわが身を守る為にそこにおるのだ。なぜ、戦わぬっ」
ゼウスの怒りが六聖獣に向けられた。そして、ゼウスは、言葉を投げつける。
「なぜ、ユダがおらぬ…降臨、しただと…?あやつ…何か…」
ユダの不在に何を思ったのか、ゼウスは、此度の混乱の原因をすべて、ユダの謀だと決め付けた。また、ルカもまた、ユダと共に反乱を企てたと。そして…ユダの天界追放を宣言し、自ら、地上に降りた。その後の事は、ゴウ達には知る術が無かった。

神と戦いし跡は、十二神により、数日の後、復興した。何事も無かったかのように振り注ぐ陽光。頬を撫でる微風…咲き誇る、花々……それは、天界のあるべき姿であり、理想郷。
「だけど…」
彼らは知っていた。咲き乱れる花の下には、天使達が流した赤い、血の跡があることを…
「そう言えば…レイはどうした?」
「…ん…ルカに付き添っている…」
「そう…か…」
「表面上、いつものレイみたいに見えっけど…もう…俺…見てらんねぇ…っ」
大戦後、記憶を消された下級天使達は再び、ゼウスを敬愛の対象として崇めた。反乱を目論んだとして処分されるはずの六聖獣は、監視をつけられ、以後、天空城への出入りを禁止され、事実上、軟禁状態にあった。彼らをどうしてそのような再訂をしたのか、ゼウスの真意は未だわからない。ただ…その蔭に聖者の意思があった事が推し量られていた。 乱心したのはゼウスだと、行いを正そうと心を決めた四人。意思を共にし、大罪を犯す決意をした友。それは天界を二分する戦い。しかし、皆の意思がいかに固くとも圧倒的なゼウスの力の前にすべてが、徒労と化した。ユダとシンは、下界に降りたまま、戻る事は叶わなかった。
多くの天使の命が散った。そして、六聖獣とて、無傷ではなかった。ルカはゼウスの裁きの杖により、その意識を封じられた。いつ目覚めるとは知れない、闇の呪縛… その傍らには、笑顔を失ったレイが座していた。愛しい者の寝顔を見つめながら…
「俺達のした事は、間違いだったのか…?こんな事になるなん…て…」
握り締めた拳が、震えていた…そんなガイの肩に手を回し、確かな温もりを確かめながらも掛ける言葉を失っていた…
「…天使とは、いかなる存在なのですか…?…教えてください…神よ…」
天を仰ぎ祈った神とは…ゴウにとっての神とはいったい誰なのか…何もかもが、偽りと共存していた…

冷たい…
ここは、何処ですか
あなたは、何処、に…
……ああ…
ユダ…私のユダ……

ゼウスとの戦いから、数日が経った。、ユダは未だ、シンの前に立ち尽くしていた。蒼く透き通る氷の中のシンは、ただ、眠っているようで、その場を離れられない。力を奪われた今、シンを助ける術は無い。蒼き氷像に囚われたまま、立ち尽くす、紅き炎は、その熱を虚しく散らすのみ。力のすべてを封じられ、人間として生きる、それがユダの先。 行動を共にしていたアリエスは、主人がすでにこの世のものでは無くなった事を知り、人間界で生きる事を決めた。それもすべて、敬愛していたゼウスの所業、選ぶ未来はひとつにしか思えなかった。
「ユダさま…私はご主人様の故郷へ戻ります」
「…そうか…私は、なんの力にもなれなかったな…」
「いえ…ユダさまもシンさまも良くして下さりました。ありがとうございました」
「…ん…元気でな」
「ユダさまも…」
去ってゆく後姿を送りながら、改めて決意する。
「待っていろ…シン…お前をきっと助けてみせる…」
術はある筈、諦める事など出来ぬユダだった。 まだ、春遠い檳榔樹の森に朝日が注がれ始めた…

「ルカ…ゴウ…」
朝靄の中、成す術を見つけらないまま、知らず仲間の名前が口を付いて出る。天界はどうなっているのか…知る術すらない今の自分には、何も出来ない…
「すべてに、負けた、のか……」
俺達は…その先は音にはならない。

「どうしたのですか?」
座していたユダに頭上から声が降る。
「……………」
目の前には、銀髪の男が、立っていた。
「…竪琴……」
両の瞳を瞑った青年は、その手に竪琴を有していた。
(…シン……)
ユダはその青年にシンの面影を探した。長い髪、穏やかな立ち居振る舞い。
「兄さん、どうしたんだい?」
街道下の道から金色の髪の少年が現れる。肩からは大きな麻で編んだ籠を掛けていた。
(…この者達は?)
「ああ、ユリウス、この方が何かお困りのようなのでね」
「ん?あんた…」
一瞬、「ユリウス」と呼ばれた少年は、ユダの姿を目に留め、戸惑いの表情を見せた。
「…………」
「ま、いっか…」
少年らしい潔さで頭を切り替えたのだろうか、澄んだ水色の瞳を真っ直ぐにユダに問う。
「怪我でもしたのか?ここいら辺は夜になると獣達が現れて危険なんだ。早く移動したほうがいい」
「…ユリウス……」
兄と呼ばれた青年がユリウスを制する。
「この方は、ここを離れられない理由があるようですよ…?」
「ここを離れられない…?」
「もし、よろしければお話を伺ってよろしいですか…?」
そう、優しく問う声が、切なさを誘う。触れる事さえ、叶わなくなった、時の天使への想いを誘う…
(…あれは……いつ、だったか……)

午後の執務の後、書庫に寄ったユダは、書物に埋もれるシンを見つけた。何とはなしに声を掛けそびれ、自身の目当ての書物を探すことにした。何冊か手にして戻っても本の世界で夢想していた。ふいに、微かな声で笑う。その柔らかい微笑みにユダは視線を外せなくなる。そのまま、シンの動向を見守る。ページをめくるごとに変わる表情。ユダと対峙している時は常に穏やかな笑みを浮かべ、感情の波はあくまでもたおやかで…しかし、眼前のシンは、見知らぬ表情を見せる。本の世界を飛び回るシンがふと、遠く思える。
「…シン」
声に出し、名前を呼んでみた。その微かな呼びかけは聞こえるはずのない距離。 なのに…
「………ユダ」
シンの翡翠の瞳は正面からユダを捕らえた…
「人が悪いですね…いつからそこに…?」
平静を取り戻そうとしているのか、ことさら、ゆっくりとした動作で、目の前の書物を片付ける。が、その頬が微かに赤く染まっている事をユダが見逃すはずは無い。
「…その顔をいつも見たいものだな…」
「…え…?」
真意を測りかねて、弾かれたように、視線を彷徨わせる。
「…もっと、いろんなお前が知りたいのだ…」
不意の告白にシンの動きが捉えられる。ユダの仕草、視線、呼吸に…
「ユダ…」
「今夜も…俺の部屋に来るか…?」

全天使が憧れてやまない真紅の天使が、唯一、見せる表情。
「……はい」
幾度も言葉を交わし、互いを知り合いたいと切に願った。
互いの熱を交し合ったあの日…
永遠に思えた時間…
なのに今は…砂のように指の間から零れてしまった時間…
取り戻したい… もう一度、声が聞きたい…もう一度、触れたい…愛しい…
「…お前に…」
気づかぬうちに涙を流していたユダ…それほどまでに深い、想い…
『愛している…』
想いを交わした者達が、告げる言の葉だけでは、足りない…
…魂のすべてを掛けて、 愛しいと、
「…シン」
ただ唯一の名前を繰り返す… そして、再び、目の前の青年を見上げる。確かな予感を抱きながら…

「どうなさいました?」
その問い掛けに自分が物思いに陥っていた事を知った。
(…力を失った事が己を弱くしているのか…)
軽い自嘲がユダの瞳を過ぎる。
「すまない…」
「話を聞く前にあんたの治療をしたほうがよさそうだ。顔色が悪すぎる」
「近くに私達の村がございます。どうぞ…」
何を聞くでもない。ただ、行き倒れている人間を助けようという善意。シンを癒す為、ユダはこの者達に理由を話す気になった。今は、少しでも情報が欲しい。
「ありがとう。世話になる」
「俺、先に行ってジョエルに知らせてくるよっ」
「気をつけて、ユリウス」
「わかってるよっ」
快活な様でユリウスが街道を走っていく。なるほど、その先に民家の屋根が見える。
「…立てますか?」
「…ああ」
躊躇なく伸ばされた手があらぬ方向に出された。 盲目なのだろうに躊躇いも無くユダに手を伸ばす、銀色の髪の青年。
「私は、オーディン.ロウと申します。先ほどのは私の弟、ユリウスと申します」
「俺は…麒……いや、ユダという、訳あってこの地に降りたった」
「……?降りたった……?」
「……っ…いや…なんでもない…」
(…今は…この人間の力を借りるしか、無いようだな…)
「シンを…仲間を助ける術を知りたい」
シンが自ら放った術により、シン自身の時が止まった、ユダを庇い、傷ついたその瞬間で。

「もしや、あなたは…」
目の前の老人は、思いもよらぬ事を話し始める。
「この村には言い伝えがあるのじゃ。『天より降りし、紅き天使に求めらられたならば、これを解け』と」
触れれば崩れそうな箱の中に一冊の本。それは天界の言葉で書かれた書物だった。
「…天界と連絡を取る方法…これは…」
ユダは、その文字ひとつひとつを噛み締めるように読み出した。
『天より降りし、紅き天使に示す。我が助けを得ようとするなら、地上の虹を手に入れよ。
その虹を願いにより、解き放てば、汝の願い、叶わん。 願い、それは、ただひとつの魂。真実のみが、虹を輝かせる』
記憶が、掠める。昔紐解いた書物の中に似たような記述が無かったか…それは、単なる天界に伝わる御伽噺のようなものだと理解としていた…
確か、ガイが気に入って何度か書庫から持ち出し、読み入っていた。その内容を思い出そうとするが、定かにはならない。
「…思い出せ…思い出すんだ…」
思わず口をついて出た言葉に長老が、静かに諭す。
「…あせらず、心穏やかに…時間をかけるのじゃ…」
「………ぁ」
知らず…書を持つ手が震えていたのを自覚する。やっと掴んだ情報に我を忘れていたのか…再び、自嘲がユダを包む…
天界と地上に分かれてしまった今、彼らがどうなったのかユダには知る術がない。今は、独り…
「地上の虹…長老はこれについて何か、知らないのか?」
「いや…私どもには見知らぬ文字ゆえ、誰も読み解いた者はいなかった」
「そうか…」
その夜、傷の手当てを受けたユダは、長老宅の一室を借り、書を見つめていた。天界と連絡を取る方法。それがわかれば、シンをなんとか出来るかもしれない。今は、天界と地上に分かれてしまった六聖獣。ユダにはあの争いの後、他のみんながどうなったか、知る術は無い。だが、生きているという事だけは、確信があった。あのゼウスが自らの命を分けた彼らを滅するはずは無いという事をわかっていた。 反逆という罪を犯されても六聖獣達への愛は失っていないはず…それが…歪んでしまった愛だとしても…
「地上の虹…なんとしてでも見つけねば…」
暗い夜空を見上げながら、ユダは誓った…
「……シン…お前を必ず…助ける…この私が……っ」

悠久を生きる天使よ
万物を愛す天使達よ
自らの愛を求め、その身を求めあうのが罪だとするのなら
地上に生きる人は、なんと罪深いのだろうか
身の内の欲に汚されぬ想いが、存在するのなら
それは至上の宝になる
真実の愛を生む、宝となる…

封じられたシンが、ユダの名を呼ぶのは…

… いつ――――――?


END