スゥィートドロップ




……足音、金属版を蹴り上げる音、 狭い路地に響く、怒声……
迫る恐怖……
少しずつ、追い立てられていく、手負いの獣……

「……ハァ……ハァ……ンッ!……………うあぁっ!?」
「……時任…?」
視線の先には、眼鏡を外した、久保田。
「久保ちゃん………」
「待ってて…タオル、持って来るから………」
スッ、と 時任の隣を抜け出した久保田。 洗剤の香りのするタオルが、時任の額に押し当てられた。
「…びっしょりだ………大丈夫?」
「……ん…」
……夢を見ていた…また、あの夢だ……
俺は、追い立てられている…焼け付くような痛さを感じながら…
…そう、この右手の痛みを……
優しく伸ばされた久保田の腕を乱暴に引き寄せ、己の懐に引き寄せる。
「…どうし……」
言いかけた言葉を飲み込むような、kiss…
「…………したい……」
「…朝、なのに……?」
「………朝、だからだよ……」
そう、瞳を閉じたのが、合図。 久保田の腕に巻き込まれるように、抱かれた時任が、ゆっくりと息を吐き出す……
「…クスクス……」
「何?」
「ううん……やっぱ、いいな……って………」
「何が?」
「…うん……久保ちゃんの………ココ……」
言葉代わりのkissの雨。
カーテンから、差し込む朝の光。
照れたように汗ばむ背中を照らす。

「…う……んっ!……あぁ……久保……ちゃ………!!」
朝の光が、もう一度、仰け反った時任の首筋を照らす……



「で、あれから、また、眠り込んじゃって……」
「そうですか……」
鵠は、少し、時間をくれませんか? と、奥の部屋へ入る。
カチカチカチ……
柱時計が、規則正しい音で、時を刻んでいる。 時任の眠りの時間を、計っている。
大きく身体を震わせて果てた後、
『眠い………』
胸元に幾つかの紅い痣を付けたまま、再び、その瞳を閉じてしまう。
『時任……』
答えの無い、ことが、どうして、こんなにも不安に駆られるのか……
今度は、「書置き」を残して、久保田は、部屋を出た。


「お待たせしました」
鵠の気配に気づかなかった久保田は、瞬間、アノ視線…
「久保田君……私です」
「…あ……あぁ……」
手の平が、汗を握っているのに気づく。
「…あなたのほうが、病人のようですよ?」
「…すいません………」
「では、行きましょうか?」
黒塗りの薬箱。
鵠の手には、似つかわしい、アイテム。
外は、薄曇。 青空は、見えない。
「夏が、近いですねぇ」
呟く、鵠の独り言。
カタカタ、カチャカチャ、
薬箱の蝶番が、立てている、音……


「起きて、無いねぇ……」
寝返りさえしていない、時任の寝姿。 走らせる、視線……
ゆっくり、上下している時任の胸。
「………………」
背筋を走った…ナニか………
不安…? 恐怖……? …喪失感…………
「ナニ?……これって…」
壊れかけてる、プライド。
開きかけている、地下室の扉……
フラッシュする、記憶。


「久保田君」
鵠の声が、引き戻す、現実。 ただ、眠りを貪る時任の胸を開き、冷たい聴診器で、鼓動を聞く、鵠。 力なく、ベッドの外に流れている右手を間近に、する。 その指の流れが、愛撫にも見え、久保田は、気づかず、唇を噛む。
「う……んんっ……」
時任が、身じろぎ、覚醒。
「あれ?……何?……久保ちゃん……」
……分析不能の感情を漂わせていただろう、視線を捉えられた久保田。
「…あ……!…いや……鵠さんに、右手、診てもらってるだけ」
そう、言われ、初めて気づく。 自身の右手の状況。
「………………!?」
「いつからです?」
「なっ!?」
真正面から、見据える鵠の視線が、 時任をいさめる。
「…いつ、って、どういうこと?鵠さん……」
「…な、なんでもねぇよ……」
「時任君、私は、あなたの主治医です。正直に話してもらわなければ、困ります」
「………!?…んなの、決めた覚えねぇよっ!」
「時任!!」
思いがけない、久保田の怒声。
「久保ちゃん………」
不意に訪れる右手の激痛。

言ってもしょうがなかったし…

言い訳。 いつから?

…ずっと前から……

でも、それが、わかったからって、何、出来んの?鵠さん……

少し、熱をもった、右手。
クラクラと、 睡魔が、訪れる……
「これを……飲んでみてください……」
「何、これ?」
久保田と、お揃いのカップの中には、物体X。
ドロドロ? なんて色? …訳のわからない、液体が、湯気を上げて、存在を主張。
「私が、調合した『漢方薬』ですよ。他に、何に見えますか?」
眼鏡の奥の瞳が、意地悪そうに光ったと、思ったのは、時任の、考えすぎか?
「大丈夫、死んだりは……しません……」
「………!?って、鵠さんっ!!」
時任は、初めてこの、鵠、という訳のわからない、なんか気にいらない、男の笑顔を見た。
「…何、入れたの……?」
「……言ったら……ますます、飲めなく、なりますよ?」
……こいつ………遊んでんのか…!?
結局、久保田に無理やり…
…そう、視線だけで、無理やり、その喉に流し込むことになる………
「うっぇぇぇぇっ…」
シャワー室から、聞こえる、悪声。
「…まだ、言ってる……」
入れたてのコーヒーを飲みながら、込み上げて来る笑い、噛み殺す。


『…さっきの薬を一週間分、用意しました。 軽く、煮立ててから、与えてください。 じきに時任君の眠気も治まるはずです…でも……』

……早く、原因を突き止めたほうが、いいでしょう…ね…

白い薬袋が、久保田の手の中で、窒息していた……
「口直し、しよう。時任……」
まだ、漢方薬の匂いのする、唇を、自らの唇で、覆いつくす…
「…いいけど……今日……二回目………」
白いバスタオルが、床に凪いだ、ぬるい床の上。

……重なる、吐息だけが、BGM……  



「…薬……」
「ヴっ!?…やめろよぉ!久保ちゃん!!」
たった、一言、時任の弱点。
10日後、鵠の言うとおり、抜けた薬の効き目。 そして、残った後遺症。
『薬』 これが、時任の『嫌いな物ベスト10』に仲間入り。
「…なんで…頭痛いって、言ってたじゃない……」
「……あ゛っ……ううっ…頭痛じゃ、死なない…いい…」
「…ったく…」
コンビニ、行くけど?
久保田の誘いにも
「…頭いてぇから、パス…!」
寝乱れたベッドに再び、沈み込む。
「……いい加減、カビが、生えちまうよ……そこ……」
締め切った部屋に篭もった、匂いと、温度……
外は、汗ばむ熱さ… 真夜中、痛みにうなされる様になった、時任。 眠れなくなった、自分……
「…あれ?…俺、食事、いつ摂ったっけ…?」
軽い眩暈を感じて、気づいた、空腹感…… 辿り着いたコンビニ。
見回す、店内。 ラメの入りシャドウの少女が、隣の男の腕に絡みながら、媚びた目で、見上げている。 聞きなれた、CMソング… カゴの中には、冷凍食品が、2つ…… そして………

「おおっ!!これって、この間出たカロリーメイトのJELLYタイプじゃん! さっすが、久保ちゃん、俺の欲しいモン、わかってんじゃん!」
寝癖の付いた髪のまま、久保田の手から、奪った「新製品」 キャップを開けると甘い、アップルの香り。 「とりあえず、お試し期間」 そう言って、取り出した、もう一個。 プラスチックの小さな吸い口を唇に差し込む、時任。 吸い上げる、ドロドロした、中身…凹んだ頬の様が、アレを吸い上げる様に酷似して……
「久保……ちゃん……?」
「……ん…?」
ポーカーフェイス……
「…今、やらしいこと、考えてただろ……?」
「…なんで…?」
「……へん!…わかんだよ……久保ちゃんのことは、なんでも……」
「……スケベ…」
「………!?それは、久保ちゃんだろ!?」
受け止めてもらえない、抗議。 眼鏡の奥の瞳が、笑う……
…俺の事、わかってる…?…ほんとうに……
…時任… お前を…俺は…


次の朝、久保田は、寝坊した。
「珍しいね?どうしたんだよ……もう、昼だぜ?起きねぇの…?」
「…………ん」
……起きない、んじゃなくて……起きられない…
…みたいなんだよな…


「え、栄養失調!?」
違う久保田の様子に、いやいやながら…本当にいやいや、鵠の店へ出向いた。
「時任君、久保田君が、いつ、食事をしたか、覚えてますか?」
…そう、言やぁ………わかん……ね……

……薬!?なんだよ!俺だけじゃなくって、久保ちゃんまで、 おかしくする気かよ! 俺が、なんとか、するよ!もう、いいから、帰ってくれよ!

……やれやれ、だいぶ、嫌われたようですね…

鵠が、盛大な溜息をついて、帰ったのは、3時間前。
台所に立つ、時任。
「…あ〜〜あ……やっぱり、大見得、切っちまったかなぁ……」

『栄養のある、お腹にもたれないもの』

ソレを少しずつ与えてください、 という鵠の言葉を軽く、考えすぎた、後悔先に立たず。 寝息を立てている久保田の枕元に「おかゆ」らしきモノを運んだのは、 それからさらに1時間半後のこと。
「…俺の人生も…短かったなぁ……」
「…な、なんだよ……せっかく、俺が……」
膨らませた頬をつつきながら
「…本気にしなさんな…食べるから……」
自分(時任)を見つめる瞳が、柔らかくて…思わず、そらす、視線…。

……俺ってば……もう、あの薬の効き目、切れてるはずだろ? なのに……これって……

疼き始めたモノを悟られまいとして、スプーンを口に運んでいる、 久保田の後頭部に一発のパンチ…
「……痛い……」
「叩いたんだから、痛い」
「…なんで…?」
「……罰…」
「…俺に…?」
「…久保ちゃんが、みんな……悪い…」
「…何、それ…?」
「いいんだよ!てめぇが、悪人だ!」
理不尽な時任の物言い。 黙って、受け止める、久保田。 言葉が、途切れて、流れる時間……
「久保ちゃん、俺の事、心配で、飯、食えなかったんだろ?」
「…う〜〜ん…買出し係が居なくて、冷蔵庫、空っぽ、だったからなぁ……」
「……そんだけ、かよ……?」
「…ん……ま、そんなとこ」
「…お前なぁ……ちったぁ、素直にモノ、言えよ!」
「…って、俺に、ナニ、言わせたいの……?」
少し、痩せた腕が、時任の顎を捕える。 そぉっと、撫でるように、首筋……肩…胸元……
「…言おうか……?時任の欲しいモノ……」
「………久保……ちゃん…もぉ………俺………」
「…はいはい………元気、なってきたから……御褒美……」
重なった影が、落ちていく、紅く染まる、部屋。 開け放した窓のカーテンが、揺れて……
…隠した、情事……
揺れて、包まれ、眠る…
ただ、それだけの時間 傷ついた右手を隠してと、縋りつく、左側…
行き着く先、探して、探して、揺れる……

…それでも、流れる、時間の中で……

END