血の断罪


≪予告編≫


憎しみが――――

溢れ出す……

癒えることない、哀しみが。

再び、この身を支配しようとする……!

やめて……やめろっ……!!

―消えろ お前など、彼女ではない。

花喃は………もう、いないのに……

彼女の姿を語るな……っ!

その闇の中へ……帰れ………っ………

一陣の光が、貫いた先……


噴き上がる血飛沫が、八戒の頭部を濡らす……



「……三…蔵……?」

「…てめぇ……いい……加減に…………ぐうっっ!?」

くぐもった声が、三蔵の喉から発せられる…

口の端を流れる、血。

返り血の匂いが、八戒を正気に戻す…


確実なモノなど、何処にも無いのに

どうして 

人は、形を求めてしまうのか

自らが望んだ形 そのままを…

長い旅の果てに見つけた 互いの半身

交わって尚

欲するだけ

乾ききった 

心を濡らす 唯一の吐息…

離さない そう言ったのは その唇ではなかったのか…

お前だけだと…

「絆」を 欲しがったのは どちらだったか…

今は もう それさえ わからぬまま 深く 沈む

「…お前の中に、入れてくれ……アイツが、来る……」

「……?……さ……三蔵―――――っ!」

それは……お前の…勝手な……思い込み…だろ…?

……そう、だろう……?

本編へ・・・




血の断罪

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隠れ月の闇夜…雑木林の下生えが、昼間の熱をはらみ、咽返るほどの青臭さを発する。八戒の頬をなぜる風さえも…血生臭い腐臭に変わり…
刹那、
「……何故、その姿で僕の前に現れるのですか?」
ねめつけた視線の先に立つ、女………
「……花喃…」
だが、ソレは、花喃であって、花喃では、ナイもの。妖気に帯びたその身は、この世のモノでは、無い。風にまじった妖気が、徐々に八戒の脳髄を食い荒らす…
――悟能…私の……悟能……
揺らめく、陽炎…いや、明確な現実、その狭間に囚われた、
猪八戒……



『血の断罪』



「八戒…?」
「……えっ!?」
憮然とした表情が、何度目かの呼び掛けだということを示していた。
「昼間っから、寝ぼけてんのか?てめぇは……」
八戒は、首筋に浮いた冷たい汗をそっと指先で拭った。
(…いったい、いつまで…続くんでしょうか……?『夢』なのでしょうね……たぶん……)
眠りの中で、花喃は、色の無い濡れた自愛の瞳で、誘う…
あの優しかった笑顔、そのままで……しかし、アレは、『花喃』では、無い。かつて、八戒が愛した人、ではないのだ…
「それが、わかっていて……僕は………」
何の想いに囚われて、いるのだろうか…?傍らの三蔵を見つめる、かつての悟能は、自分自身の心を計りかねていた……





周りを白く濁らせる、硫黄の湯煙。

真夜中の静けさに紛れて、微かな、湯音…

冬の空気に揺れる木々が、雪の重さに悲鳴を上げている。

宿屋から、離れた露天風呂に、光が見える……

白濁した湯から覗くは、三蔵の両肩…幾筋もの太刀傷…

湿り気を帯びた金糸の髪が、首筋に纏わりつく…

今は閉じられた紫暗の瞳、ゆるく開けられた上気した紅い唇…濡れた溜息が、呼び声となる……

「……八戒……か?」
閉じたままの瞳が、近づく気配を受け入れる…
「ずいぶん…ゆっくりなんですね?」
声の主が立てた湯波が三蔵の胸元に、その裸身を抱くように押し寄せる。
「…ふん……たまには、な……」
西への旅が、終わり、どのくらいの時が経ったのだろうか?三蔵自身、昇霊銃を手にしなくなって久しい。
「首尾はどうでした?」
底意地の悪い声音で八戒が、訊ねる。湯の中を進み、三蔵に並ぶ…
「……子供の使いだ……」
いかにも面倒事だったと言わんばかりの口調である。
「…よかったですね?」
湯に浸したタオルで、顔を拭い、一息吐き出す、八戒。血に濡れた時間は去り、桃源郷に平穏な日々が、戻った。全ての根源であった玉面公主は、観世音菩薩預かりとなり、その身を封印されたという。そして、敵でもあり、仲間、でもあった、その息子紅孩児一行は、行方知れず…何もかもが、観世音菩薩の思うが侭の結果となった。
「なんだか、懐かしいですねぇ……」
独り言のごとく、毒づく八戒。言葉は、途切れ、シンした、時になる。小さく揺れる湯波が絶え間なく生まれ、消えていく…小波のような音だけが、この刻のすべて。二人を包む音、すべて。
「…何言ってやがる…もう一度、アイツらと旅なんざ、御免だ…」
「……ですかね…」
同意をしてみせたのは、言葉の裏返しか?戦いに明け暮れた日々が、懐かしいなど、常人では、思いつか想いが、二人にあることは、わざわざ口にするまでもなかった。三蔵にとって…『今』という時間に息苦しささえ、感じていることを八戒は、知っていた…
「…………………!?」
ふいに……
肌を撫でる感触に瞳を開け、その指先を追う…
「…傷、ずいぶん…残っちゃいましたね……」
御仏に仕えし、最高僧は、その名とは、異なる修羅の道を歩んだ。彼ら三蔵一行の後道には、妖怪の死骸が累々と続く。それは、さながら、血塗られた道であった。あの「死の臭い」のみの時間が、彼らの生きる時間、だったのかもしれない。使命とは、割り切りないほどの『死』をその内にして、踏み出す足先に土があるのかさえわからぬ、闇の中を彼らは、進んだのだ、遙か西を目指して…
…今は、すべて過去となりて――――――
「……で、いいのか……?お前は……」
「な、何がです…?」
正面の紫暗の瞳……
「最近……寝てねぇだろ…?」
「……お見通し……ですか……」

――お前の事なら、なんでもわかる……

そう、聞いたのは、睦みあう前だったろうか。三蔵の肩を滑り落ちた八戒の指先は、いつの間にか、傷跡をたどって湯波に晒された、胸元を這っていた。
「…………」
「……大丈夫……ですよ……」
その答えの先を求めた唇は、熱い感触に覆われる。ついばむような口付けが、繰り返され…三蔵の唇を犯していく…上昇し始めた温度は、止まる術を知らず、互いの熱を貪り続ける。もっと、深くと、引き寄せた重さに三蔵の背が濡れそぼった岩肌に擦れる。
「……だめ……です……傷が……付きます……よ?」
「…今さら……だ……」
「……僕が…許しません…」
耳元の囁く声は、三蔵の芯に火を着けるには十分すぎて…
「………うっ……あぁぁ……八…戒……もぅ…………!」
あわせた唇から互いの唾液が、混じりあい、流れる…八戒の右手は、白い湯の中に消えて、一定の動きを繰り返す…
その度…
三蔵の咽は、歓喜の音を発する……まだだと……もっと、欲しいと……両の腕を八戒の背に絡ませながら……



数日後―――
寺院の外には、薄っすらと雪が積もっていた。剥き出しになった肩に寒気を感じ、傍らの温もりを探す。しかし、三蔵が求めたモノは、無かった。
「………八戒…?」
そこにいるべき人は、消えていた――――



「おいおい!急に呼び出し掛けたと思ったら、なんで、んな事になってんだぁ?!」
「………煩せぇ…………」
「……フン。らしくないねぇじゃん?……三蔵さまぁ?」
「――――――――!!」
寺の者達に周囲を探させたが、八戒の姿は無い。八戒の姿が何処にも無いと知るや、三蔵は、かつての仲間、紗悟浄、孫悟空を呼び出していた。確かに、普段の三蔵にしては、らしくない行動だったかもしれない。
「理由を、聞かせろや……」
カチリと悟浄のオイルライターが、音を立てる。銜えた煙草の先に紅い火が揺れる。悟浄の吐き出した紫煙の向こう、少し霞んで見える三蔵が口を開く。
「……こいつが、落ちていた………」
三蔵が卓の上に投げ出したのは……
「…こ、これって………」
「……八戒の…妖力制御装置……?」
四つの瞳が見つめる先に、持ち主に捨てられた、三つのピアスが、光っていた。
『妖力制御装置』を外している。それが、どういうことなのか、ここにいる三人の男達には、判り過ぎるほど、わかっていた。八戒は、元は人間だった。千人の妖怪の血を浴びて、妖怪になったのだ。愛する人の為に自分の細胞のすべてを変化させて。通常生活を送る為に…いや、その強すぎる妖力の為、妖力制御装置無しでは、人間、との共存が出来ないのだ。
それは、誰より、八戒自身、わかっている事。
「これを……外してんのか?八戒は………」
それ以上、言葉をつなげられないまま、時間だけが、過ぎていった。


『三蔵?もし、この時間が、壊れてしまうとしたら…どうします?』


三蔵は、突然、妙な事を聞いた八戒を思い出していた。気づいていなかった訳では無かった。夜中、何かに憑かれたようにベッドの上に飛び上がることが何度かあった。そんな時は、決まって……寂しい瞳をして、三蔵を求めた。何度も何度も追い詰められ、許しを請うまで、吐精させられた。抱かれる度…そんな夜を繰り返すうちに……変わっていったのだろう。八戒の中に何かが、起こった……

『……花喃…………』

一度、八戒は、三蔵を貫きながら…そう、呼んだ……だから、聞けなかった……と、三蔵は自分自身に言い訳をしていた。
「バっカじゃねぇの?……あんた…………」
悟浄の揶揄する言葉が、三蔵を突き刺す。嫉妬だと、認めてしまえばよかったのだ。
あの時……あの時に…………
思うが、今は、三蔵の傍に八戒は、いない…………
八戒の中に留まり続ける『花喃』
しかし、花喃と出会わなかった八戒は、八戒ではない。過去の出来事は必然で、偶然、などは無い。八戒の過去もすべて、そのままを抱きとめていたはず、だった。
なのに……
判っていた筈だったのだ、理解していた筈、だった……
「…………………」
「理屈、じゃねぇだろ?…恋愛、ってよ………」
「………………なっ………!」
「……筒抜け、だぜ、てめぇらの事なんてよ……」
「うん……三蔵は、どうしたい?もしかして、八戒は……」

少し大人になった悟空が、金の瞳で、三蔵に問う。西への旅が、悟空を確実に成長させていた。

「…見つけ出す……!!…絶対に……な!」

荒れ狂う波の音が、八戒の脳裏を掻き回す。 冬の冷たさが、体温を奪う。
それでも変色してしまった海から、離れられない。
「僕の……心、ですね……まるで…」
激しく打ち寄せる波は、海の表情を一変させる。 澄んだ青は、波が無為に伸ばす腕で無理やり底まで掻き回され、 隠していた泥を巻き上げられ、茶色に変わる……
“本当”が、露見する。

「…てめぇ…何もんだぁ…?」
力を誇示する。 その為だけに弱者を襲う、その手を幾度血で濡らすかが、強欲な愚者の所業。 八戒の背後にまた、悲鳴が上がる…
一刀のもとに倒した妖怪は、無残な肢体を晒す…
「いったい…僕は……何を………!!」
――でも、逢えないんです……今は…………

伸びた爪の先から滴り落ちる深紅の液体が、八戒の後道を作っていた…



『血の断罪』



「……………………!?」
「どうした?」
…夢を見ていた。 八戒の呼ぶ声に眠りから引き戻された三蔵… しかし、運転席から聞こえてきた声は……
「悟浄…?」
「…悪かったな…俺で……」
「いや……」
シャラン、と…
三蔵の袂の中で微かな金属音がする… 八戒の残したピアスがぶつかる音…
「………チッ……!」
三蔵達は、再びジープを共に旅へと出ていた。
今度は、八戒を探す、という旅に……
「なぁ…なんで八戒、出ていっちまっんだ?三蔵、ケンカでもしたのか?」
「…………………」
悟空の問いかけに瞳を閉じたまま、答えない…玄奘三蔵。
「…なんだよぉ……俺だってわかるぞ…三蔵の気持ち、くらい……」
思い切りふくれっ面になった悟空が、そっぽを向く。
風が―――
金糸を揺らし続ける…… 三人の上に落ちた沈黙が、それぞれの心にあの日を、思い出させていた…
「宿命」と、観世音菩薩が言った、最後のあの日――

『てめぇらなんざ、俺の手の中、だったのさ』

精魂尽き果てた四人に向かって、高笑いをした観世音菩薩に唾を吐きかけたのは、悟浄だった。 無事に使命を果たしたんだから、うまいモンたらふく食わせろと如意棒を振り回したのは、悟空。 やれやれと、大きな溜息をついた、八戒… そして……高見から見下ろす観世音菩薩に手を合わせた…三蔵… 胸に去来したものは、それぞれだった筈。 そして、「またな」と、上げた手は、旅の終わりを示していた筈。
「…理由なんて、知っちゃいねぇ…わかりたくも、ねぇ…だが……」
「……………?」
「…俺は、あいつを探す……探し出して…こいつをぶち込んでやる……!」
法衣の下の昇霊銃を握り締め、毒づく。
「おお、こわっ……三蔵様を怒らせちゃいけないわv」
茶化す悟浄に銃口を向け、
「…先に、逝っとくか…?」
「…は、はははは……遠慮しまっス…」
前方を見据えたまま、悟浄が手を挙げる……

土煙の向こうに街が見え始めた……
「八戒、見つかるといいなぁ……」
悟空が誰に言うとでもなく、皆の心を代弁してか、そう、呟く…… 重く雲が垂れ込む空が、進入を阻むかのように一行に立ちはだかってい、た……


秦安―― このごく平凡な街。 妖怪に襲われた、などという話は、彼らの耳には、聞こえてこなかった。 牛魔王の復活を阻止したあの日。 玉面公主を封印したあの日。 桃源郷を覆っていた『負』のエネルギーの放出は止まり、妖怪の暴走も止まった。 しかし…… 危惧していた事態は、深刻だった。 すでに人間と妖怪には、相容れないほどの溝が出来ていたのだ。 互いの敵、家族の仇、それは憎しみの対象でしか無くなっていた。 両者の間に「共存」という文字は、消えていた……

「ここんとこ……妖怪なんて見ないねぇ」 「
あんな事をしておいて、今更一緒に暮らせる筈がなかろう!!」
街の人々は、口々に妖怪を罵る…八戒の行方など聞ける筈も無く…時間だけが、無駄に、過ぎていた……
「…ふぅ…ったく、らちがあかねぇな……どいつもこいつも妖怪を目の仇にしてやがる…」
「……そう…だね……おいらもここまで、ひどいなんて…思ってなかった……」
悟空が、飯を前にして溜息をついていた。 妖力制御装置で外見を人間と同じくしていても悟空も妖怪だ、悟浄に至っては禁忌の子だ。 街の人間に知られたらただでは、帰ることは、出来ないだろう…
「なのに……なのに八戒のヤツ……!ピアス、外したまんまで!!なんで!? どうしてなんだよっ!三蔵!!」
「…………………!?…黙れっ!!バカ猿っっ!!」
振り向いた三蔵の顔に…苦悩を感じた、 悟空は、たぶん…三蔵は、泣いているんだ、そう、思った。
(…なんでそう思うのか、わからないけど…聞こえるんだ…三蔵の声が…
…ずっと、八戒を呼んでいる、声が……)
無言のまま、三人は生きるための糧を取り続けた……
深夜―
音が、消えた。 降りしきる雪が、街の騒音を消し去っていた。 独りで眠るベッドは広すぎて、三蔵の上に眠りは一向に訪れない。 カーテンを開け放した窓に映る、雪影…街灯が、その形を安宿の薄汚れた壁に投影し続ける。

『…寒いですか…?……三蔵……』
『いや……』
『…こっちへ来ませんか?』
雪明りの中で、八戒は、三蔵を誘った…

あれは…
「……いつ、だった……か…」
ふいに 寒さが、布団の隙間から、流れ込む… 我知らず…自らの肩を抱く、三蔵…
「…八戒………」
上から下へ、 白から黒へ、 変化し続ける情景の中に、八戒だけが、存在していない。

『…いいですねぇ…やっぱり………ここが……』
三蔵の胸元を突付き、ここがいい、と、口付けをした。
『何処まで行けるか、試しません?僕と一緒に……』
首筋をなぞっていた唇が、耳元で問う。
――受けてやる…
間近で微笑む八戒を正視出来ないまま、答えた…
「…てめぇが、そう言いやがったんだろうが……っ!」
あの日の八戒の吐息が、 指先が、 口付けの熱さが、
――欲しい
肩に爪を食い込ませて、焦燥感に震えてしまうのを三蔵は、止められなかった。





「…あの山の向こうに…?」
眠れないまま朝を迎えた三蔵は、西の山を越えた海辺に妖怪達が村を作っている事を聞きだした。 それは、幼い少女… その村には、幼馴染が住んでいるのだという。 別れて住んでいても友達なのだと、もし、そこへ行くのならと、 小さな手が、震えながら取り出した封筒… 三蔵が、人捜しをしていると聞いて、訪ねてきたのだった。 もとより、あての無い旅だ。 三蔵達は、西の山へ向かって出発することにした。 まだ、寒い冬の日、だった……


一日がかりで西の山を越える。 三蔵一行の前に暗い色をした海が、横たわる。 荒く削られた岩肌に波が白く、砕ける。
「…寒いなぁ…こんなトコに誰か、住んでんのかぁ?」
そう、呟く悟空の唇から、真っ白い息が、漏れる… 冬の海を渡る風は、皆の心を凍らせてしまうには、十分な冷たさだった。
「……行くぞ…」
「………………」

波立つ心… 風に晒されるまま、 歩を進め、 その先に、辿り着くモノは、あるのだろうか? 足跡さえ、残らぬ、この地の上に……
「なんだか……寂しいな…」
先頭を歩いていた悟空が、見つけた、妖怪の隠れ村。 入り江の奥、 海風を避けるように…… 人間の目を避けるように ソコに村は、存在していた。
「…なんだぁ?今日の子猿ちゃんは…」
普段の覇気の半分も無い悟空の頭を引っぱたく、悟浄。
「…ん……だって……こんな…隠れて…こんな場所でしか、 妖怪は生きていけない…っていうのかよ……!…なんだか、寂しすぎる… …俺達がした事って、なんだったんだろうな…三蔵……」
問われた三蔵は、一点を見据え、悟空を制した。
「……誰か……来る…」
三蔵の視線の先、誰かが、歩いている……
「……妖……怪…?」
三人は、冷たい風に押されるまま、村へと足を踏み出した。
「……人間が、ここに何の用がある?」
真っ直ぐ、妖怪と対峙するは、玄奘三蔵。 金冠を被り、その手を空に投げ出す…
「少なくとも…経をあげに来た訳じゃ、ないがな……」
「…ふん………」
「……人を……捜している…」
「…生憎……あんたらの仲間はここには、一人もいねぇぜ? まさか…妖怪を…捜してる、ってんじゃねぇだろうな…」
「…その、まさか、だ」
「…んだと……?」
銀色の長髪。赤い瞳。そして、長く伸びた爪、身体の文様… その姿は、妖怪そのものなのに… 何故か、敵意は、感じない。 三蔵の言葉に過剰に反応しているように見えて、その立ち姿は、飄々としたまま……
「……悪いが…こっから先に行かせるわけには、いかないんでね?」
「…そんなのは…俺の知った事じゃねぇ…」
目の前の男の言う事など関していないとばかりに、押し通ろうとするが… 三蔵の右腕が、捕らえられる…
「……離せ……」
「………こっちの事情も話した筈だが…」
刹那、
空気を裂いて、妖怪の爪が、三蔵の咽元を襲う… だが、一瞬早く、悟空の如意棒が、二人の間に降りる…
「…貴様……!…人間じゃ、ねぇな?」
自身の攻撃の反動で、もんどり打った妖怪が、口の瑞の血を拳で拭う。
「そうだよ!悪いかっ!」
「…あのよ……ソイツは、そういう意味で言ってるんじゃなくって…」
悟浄が呆れたように、口を挟む。
「だって、コイツ!!三蔵を攻撃しやがったっ!!」
「………三蔵…?」
その名に明らかに反応を示した、妖怪……
「あんた…三蔵、ってのか?」
「……ああ」
「……………………」
「…じゃあ……『八戒』って名前に、記憶は?」
「「「…………………!?」」」



――風が、やんだ
「…話を、聞かせろ…」

妖怪の名前は、連雀。 元は、泰安に住んでいたのだという。女房と子供の三人で平凡な日常を営んでいた。 アレは、突然やってきた……
「…女房が……いきなり…息子を襲いやがった!狂った目をして…!」
息子の身体に消えない、傷が残った。 我に返ったのは、一瞬だったのだろう、連雀の女房は、 我が子を手を掛けてしまった事に驚愕し、家を飛び出した。
「…で、今は?」
長くなった煙草の灰を落としながら、悟浄が問う。
「…それっきりだ………」
そして、連雀もまた…身の内から湧き上がる『狂気』に息子を残し、村を出た。 それから先は… 心を半分、失いながら、同様に狂った妖怪達と殺戮の日々を送った。 そして…訪れた時と同じように、開放も突然、やってきた。 記憶が、ある。 泣き叫び、許しを請う人間を追い詰め、その腹臓を引きずり出した、事を…… 長い、逡巡の果てに、連雀の脳裏に息子の顔が浮かんだ。 狂ってしまっていた長い時間、独りにしてしまった、息子を…… だが… 息子とて、妖怪の息子。 自分と同じように、狂い…人間を…襲った、かもしれない…… 息子の幼い命は、もう、失われてしまっているのかも…しれない… 焦燥感、 絶望、 そして、少しだけの希望。 連雀の足を進め続けさせたのは、 息子の笑顔、三人で過ごした、あの日々だけ、だった………
「…なん……だよ……それ……みんな、アイツが……あの女のせいで……っ!!」
悟空の両目からは、涙が、溢れ、自らの過去を思った。 三蔵と共に生きると決め、桃源郷を救う、 という正義の味方のような自分の歩いてきた道を。 精一杯、戦った。 みんなを助けたい、ただ、それだけを願って。 自分みたいに悲しい思いをする人が、一人でもいなくなるように…
「…誰かを…待つって…つらいんだ……あんたの息子も……」
「…ああ、わかっていたよ…」
しかし、どうにも出来ない、しょうがなかった、 そんな陳腐な言葉では、償いきれない事なのだろう。
「…悟空…この男を責めても…何にもならんぞ…」
「…うん……わかってる………」
「…お前ら………」
連雀は、二人の会話に疑問をぶつけた。
「…もしかして……この桃源郷を救った坊主達って…お前らか?」
その問いに三人は、視線を合わせた。 無言の肯定が、連雀の口から、三蔵への答えが、吐き出された。
「……あんたの尋ね人は、ここにいる……」





「……………………」
「……ハァ……ハァ………うっ!?」
痛みが、脳天まで突き抜ける。

―僕は、どうして、ここに……?


声が、した。

『…悟能……来て……私の、傍に…』

目覚めた視線の先に、見慣れた天井。 傍らに愛する人… そう、『今』の自分が、愛している人。 少し、疲れた顔をし、寝息を立てる半開きの唇に口付けをした。 それが―限界だった。
「…行きましょう、花喃。あなたと、一緒に…」
何度、肌を重ねても、消えない過去。 『お前は、お前のままでいろ』 三蔵が、告げる言葉に縋りつきながら、保ってきたのは、心の迷い。 眩し過ぎる光を胸に抱き、自分の影が、色を濃くしていくのを他人事のように見ていた。
血。
記憶は、そこに戻る。 花喃とまだ名も無かった胎児が流した「血」が、悟能の記憶。 言葉が、欲しかった。 言葉を聞いて欲しかった… 言い訳を、 花喃を救えなかった、言い訳を。
「…でも、それって結局…自分が、救われたいだけだ…」
想い、 想い続けて、ソレが、現実になった。 なのに、今度は、犯した罪が、八戒を追う。 夜な夜な、優しい瞳の花喃が、八戒を欲する。 あの頃に戻れば、もう、苦しまなくていいと。

『…私が、あなたを救ってあげる…』

甘美な言葉が、八戒を揺すぶる… 青白い手が、八戒へ向かって伸びる。
抱きしめる、腕… 温度の無い、腕で……





「…何処へ、行こうかなぁ………」
ピアスを失った左耳が、吐息を感じた。


『………八戒…もっと……強く……抱け……』







「気がついたのか?」
―なに?
薄暗い洞窟の中。 背中に当たる冷たい岩の感触。
「………………ッ!?」
「暫くは、動けねぇぜ……」
混濁する意識が、次第にはっきりしてくる。 海鳴りが聞こえる。 意識を失う前に感じていた、風の冷たさは、もう、無い。 焚火の炎が、右側に座っている男の影を岩肌に長く、映していた。
「……あなた…は?」
明らかに妖怪だとわかる姿だ。
「ここいらは、崖が多いから、気をつけな…」
さして、心配している風でもなく、八戒を見つめながら、言葉を繋げる。 それ以上、会話は、続かない。 八戒は、自分の手足を動かしてみた。 痛みが、全身を走る。
(……左足と左腕……それに肋骨もか…?ふふっ…よく、生きていたものですね……)
もう、何も考えたくなかった。 すべてを捨ててきたのだ。 自分のエゴだけで。
「…風、やんだみてぇだな………」
誰に言うでなく、男は、呟いた。
「あの……」
せめて助けてくれたお礼を言おうと首を巡らせ、正面から男の顔を見た。 容貌は妖怪そのものなのにその表情は、人間臭さを思わせた。 顔、腕、そしてたぶん、隠された部分にもあるだろう、太刀傷。 それは、八戒がよく知る人物と酷似していた。
「あんまりしゃべるな、傷はそんなに浅かねぇ」
「ええ、そう…みたいですね…」
いくら治癒力の高い八戒といえど、幾日かは、腕一本、動かすことは、出来ないだろう。 男の言う事を聞き入れ、八戒は、もう一度、目を閉じた。

『……悟能……私の悟能……』

―また、か……

夢を見ているという自覚で、八戒は、微笑む花喃の「影」を見つめ続けた。 視線を外す事も出来ず、その場を離れる事も出来ず、ただ、見つめるだけ。 伸ばされた腕は、きっと、優しいのだろう。 あの身体を抱き締めたなら、自分は救われるのだろう、 わかっていた、 知っていた、 だが、
『行けない……やっぱり、僕は……行けないんだ……花喃…』
どうしてと、大きな瞳が涙に濡れる。 いやだと、頭を大きく振る。
『……八戒』
背後から聞こえてきたのは、
『………さ、三蔵……』
正装した玄奘三蔵が、そこに、いた。
『何を、している?』
動かない筈の八戒の身体は、吸い寄せられるように三蔵へと向かう。
『どうして!?どうしてなのっ!?悟能!』
追いすがる花喃の言葉に告げる。
『……愛していたよ、僕の花喃……だけど……ごめん……僕は…もう……戻れない……』
細く、長い、悲鳴が、辺りに響く。 花喃の断末魔の叫びのように、悟能の名を呼びながら、花喃の「影」が、薄れていく。 そして、闇………
『これが、夢なのは、わかっている…だけど、これは、僕の心なんだ。 僕の心が作り出したモノ。僕自身。だから、あなたへも戻れない』


冷たい感触に目を開ける。
「…大丈夫か?」
たぶん、うなされていたのだろう、さっきの男が、心配気に見下ろしている。
「…すみません…ご迷惑をお掛けします……」
「…いや、いいんだが……」
男の歯切れの悪さに何か、うわ言を言ったらしいと気づいた。
「僕は……何、か……?」
「あ……あぁ………」
小さくなってきた焚火の元に戻り、頭を掻きながら、話し始めた。
「…お前、名前は……」
「…名前、ですか……今は、猪八戒と名乗ってますが……」
「今は…?」
「…………………」
「いや…そんな事は、どうでもいいか……俺は、連雀ってんだ」
連雀は自分の過去、そして、今の生活の事を話して聞かせた。 それは、誰かに自分の所業を懺悔するかのようだった。 最後まで、聞き終え、八戒は、改めて玉面公主がしていた事が いかにこの桃源郷を生きる地獄と化していたのか、思い知らされた。
「……三蔵って……あの三蔵か?」
――ああ、やっぱり……
「僕は……」
「いや……噂で聞いただけだ。この桃源郷を救ったのが、玄奘三蔵って名前の坊主と 3人の従者、だって事をな」
その声音のせいだろうか、その容貌、匂い…すべてが、三蔵を思い出させ、 だけど、三蔵では無い、連雀に、八戒は、すべてを話し始めた。 それは自分でも理解出来ない衝動だった。 すべてを話してしまいたかった。これ以上、呼吸(いき)が出来なくなる前に、 誰かに、聞いて欲しかったのか?
それが、どうして、三蔵自身じゃなかったのか、考えれば、考えるほど、自分の心が見えなくなる。 自問自答を繰り返し、 出ない答えを求めて 必死に足掻いてきた刻 水(こころ)は、溢れ、 行宛を失う 堕ちていく先を 独りで行くと すべての絆を断ち切る たとえ 自らの血で 窒息するとも… …決めた心が、未練に泣いても 戻れない、あの光の中に………

「……逢いたい………三蔵……」






「お前が…八戒の居場所を知っている、と…?」
「ああ………」
「で!で!八戒、元気なの!?」
悟空が、連雀の両肩に手を掛け、揺さぶりながら、問う。
「何処にいんだよ!」
「…悟空」
制する三蔵の声に、悟空は連雀の肩から手を離す。
「逢わせて、もらう」
「あいつは、ここにいたほうがいい」
「……………!?」
「それを決めるのは、お前じゃない…俺だ」
「…ッ?!……何の権利があって、そう言い切る?」
「………お前には、関係無い」
「…関係無くもないぜ。なにせ、俺は、あいつの命の恩人だしな……」
一歩も先を譲るつもりのない連雀を見据える三蔵。 その眼光の鋭さに怯みもせず、連雀も見返す。
「…こ、怖い……」
その場にそぐわぬ恐怖の声をあげて、悟浄の後ろに隠れた悟空。
「何やってんだ?猿…」
「さ、猿、言うなよぉ……」
「ふぅん……三蔵様、マジ、って事、みたいっスねぇ」
茶化す悟浄の言葉も今の状況にそぐわない。
ただ、時間だけが、過ぎていく場所で、二人は、唐突に再会する。 連雀の後ろから現れたのは………






「八戒!!よかった……無事だったんだぁ…」
気の抜けた言葉が、悟空の口から出る。 妖怪に変化しているとはいえ、アレは、八戒。 共に旅をした仲間。 時間を共有した、相手――
「…帰るぞ………」
「………………」
三蔵を見つめる視線。 自分を追ってくれたことの歓喜と再会してしまった事への驚愕と失望。 翡翠の瞳は、何処までも、透明に、泣いていた……
「……八戒…」
愛しい声音が、己の名を呼ぶ、官能にも似た衝動が、八戒の肢体を震わせる。
「…………行けない」
「………………!?」
すぅっと、細められた三蔵の左目が八戒を射る。
風が、鳴る 遙か遠い異国の匂いを運んだ風が 二人の間で鳴っている……
「三蔵……あなたが持っている『ピアス』は、もう捨てて下さい 。僕には、必要なくなったモノだから」
「……な……に…?」
言い切る八戒の真意が何処にあるのか、翡翠の瞳は、閉じられ、開ける鍵が、見つからない…
「……ピアスを外したら…もしかして……って思ったんですよ」
「……………………」
「でも、現実は、変わらなかった…僕は、妖怪のままで、あなたは、光そのものだ…」
「…何を、考えてる……?」
「……消えないんです……血の記憶が…あなたを抱くたびに…犯してしまう、僕の罪……」
バサリと、三蔵の法衣の裾が、風に遊ばれる。
「あなたを愛してる……愛しているんです…なのに…… あなたの名前を呼ぶ度に呼び戻される……あの日に……!!」
言葉が、三蔵を切り刻んでいく。 想いが、強すぎる、想いが、互いの壁となる。 そんな馬鹿げた理由をぼんやりと感じながら。
「……気づいたら…そうしなきゃならなくなった…僕は…… もう、あなたを殺してからではないと死ねない…あなたを愛してしまったから… …誰よりも……自分の過去より… …僕の居ない場所で他の人に抱かれるあなたなんて、イヤ、だ… たとえ肉体を失ってもあなたに執着する、そんな自分は見たくない… だったら、あなたを一緒に連れて行く…あなたを血に染めるなんて… …そんな事が許されると想いますか?僕は、もうとっくに狂ってしまっているんだ… あなたが血に染まるのが見える… だけど、それが、僕には、嬉しい… 僕の為に僕だけに見せてくれる、あなた自身の血が… でもね、それは結局、僕自身の保身でしかないですよ。 自分が壊れてしまわない為のね!そんな程度なんですよ… 僕の想いなんて…ただの欺瞞だ…あなたの隣にいる資格なんて…無い、んだ……」
血の叫びを風に乗せ、 崩れ落ちる、想い。
「…資格ってなんだ?そんなモンで俺から離れられるとでも思ってたのか?」
「……………え…?」
「……殺してみろよ……今すぐ……」
いつの間にか、三蔵の手には昇霊銃が握られていた。 その撃鉄はすでに起こされている。
「三蔵!?何するつもりだよ!八戒に銃なんて向けんなよっ!!」
「お子ちゃまは、黙ってな…!」
悟空を横抱きにして、悟浄がその場から去った。 八戒にウィンクを送ることは、忘れずに…

「俺も用済み、だな……」 連雀もまた、村へと帰って行った。 今度こそ、妻を向かえにいくと、心に決めて…
「邪魔者は居無くなったようだな……来いよ、猪八戒…」
照準を八戒の額に合わせたまま、甘美な声で誘う。
来い、と お前のすべてで、来い、と。 左手が、ゆっくりと、広げられる…限りない優しさを秘めた腕で、風を受け止める… 右手だけを、氷に染めて…
「……来い、八戒………」
刹那、 八戒は、飛んだ。 妖怪の爪を光らせ、真横に薙ぎ払う… その様をコマ送りの映像のように網膜に捕らえ、三蔵は、声を上げた。
「帰って……来い…………!」
「………………………!?」
シュン……!
と、細い音が、三蔵を朱に染め、切り裂かれた法衣の胸元から、千切れた皮膚が、散る… 吹き上げられた朱は、華と化し、舞い落ちる。 任を解かれた銃が、ゆっくりと、右手を離れる。
赤、 辺りを染めたのは、三蔵の赤………
「……うっ…………ぅあぁぁぁぁぁぁぁ―――っ!」
すべてが消え、 音が消え、 色を失くす、 再び、八戒の両手を染めたのは、 三蔵の、赤。
カチリと 三蔵の左手で鳴った、金属音。 力なく、地に倒れている手から、3つのピアスを受け取る。 帰る、 変える、 心を 自分を
「……八…戒………」
「……しゃべらないで……ください……今、傷を…塞ぎ…ます…」
自身の血に濡れた右手を八戒の頬を這わせる…
「この血が…お前を縛る……今度は、俺の……血が………」
「…三…蔵…………」
薄く笑った紫暗の瞳は、安堵の色を浮かべて閉じられた。 その上に降る、涙の雨……
「……いいんですね…?僕が傍にいても…」
――あぁ、今更何言ってやがる…
預けられた体重が、そう、言っている気がした。

愛していると 想いを言葉にすれば 叶う、

真実など、何処にもない

欲すれば 手に入る、真実も何処にもない

何を信じて 誰を想うのか

人は、すべてをかけて 探し続けるのかもしれない

魂の半分を 求めて………



END