穏やかな春の日差しに誘われて、一人街を歩いていた浅香雅展は、たまたま通りかかった公園の桜を眺めながらそう呟いた。
普段なら何気なく通り過ぎてしまうこんな場所も、桜が満開というだけでつい寄り道をしたくなるから不思議だ。
芝生で一面を埋め尽くされたその公園には、まだ春休み中とはいえ、平日の昼下がりということもあってか人の姿はそれ程多く見られない。
ふと、しだれ桜の根元で、気持ち良さそうに寝息をたてている藤井渉を見つけた。
雅展は辺りを見回してみたが、彼の恋人である架月裕壱の姿はどこにも見当たらない。待ち合わせまでの暇つぶしといったところだろうか?
何にせよ、渉がこんなところに一人でいるというのはあまりお目にかかれない。
雅展はゆっくりと近付いて、渉の顔をじっと見つめた。細く柔らかな彼の髪を、心地いい風が優しくなでていく。
「こんな所で転寝なんて、結構無防備だなぁ」
そう言いながらも、渉のあどけない寝顔に雅展の口元は自然と緩んでしまう。
雅展は顔を覗き込むようにしてかがむと、その細い肩にそっと触れてみる。
「渉くん、渉くん」
軽く揺すって声を掛けてみるが、
「うん・・・もうちょっと・・・」
などと甘えた声を出すだけで、起きる気配は全くない。雅展は苦笑しつつも、この僅かな幸運のひと時を、もう少しだけ愉しむことにした。
渉の隣に静かに腰をおろして、そっと前髪を撫でてみる。
(この寝顔を、架月くんはいつも見ているのだろうか?もしも、独り占めにできたのなら、どんなにかいいだろう・・・)
雅展は口付けたい衝動にかられるが、寝込みを襲うには渉の寝顔は少々幼すぎた。
「ん・・・・・・」
寝返りを打った渉が、ふいに雅展の手を握り締める。雅展は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに穏やかな笑みをこぼした。
たとえ自分を裕壱と勘違いしているのだとしても、そんな事はどうでもよくなってしまうくらい、今の雅展は幸せな気持ちでいっぱいになっていた。
(いっそこのまま、時が止まってしまえばいいのに・・・)
そんならしくない事まで、浮かんでくる程に・・・。
「う・・・ん・・・」
渉がうっすらと目を開け、まだ眠い目を擦りながらゆっくりと起き上がる。
「やば・・・寝ちゃったよ」
渉は一度大きなあくびをしてから、ようやく雅展の存在に気がついた。
「え?!あ・・・浅香さん?!」
渉は驚きのあまり、頬を紅潮させながら口をパクパクさせた。そんな彼が妙におかしくて、雅展はつい吹き出してしまった。
「あ・・・あの・・・」
渉は戸惑いを隠せずに口ごもる。
「あぁ、ごめんごめん。渉くんがあんまり気持ち良さそうに眠っていたから、つい起こしそびれちゃったんだ。通りかかったのは偶然だったんだけど」
渉は耳まで赤くして俯いてしまった。恐らく、裕壱以外に寝顔を見られたことなどなかったのだろう。雅展はとうとう肩を震わせて笑い出した。
「渉くんて、やっぱりかわいいね」
居心地が悪いらしく、渉は所在なげに視線を泳がせていたが、ふいに大きな黒目を見開いた。
「うわ!」
雅展の手を握り締めたままになっていたことに気付いて、自分の手を慌てて引っ込める。
「ごめんなさい!俺・・・!」
渉はますます恥ずかしくなって、雅展の顔をまともに見られなくなってしまった。
「うん?あぁいいよ。俺は結構嬉しかったから」
そう言って穏やかに笑うと、渉の頭を優しく撫でた。
(ずっとこのままでいられたらいいのに・・・)
叶わないと判っていても、雅展はそう願わずにはいられなかった。
(好きだよ・・・)
心の中で呟いて、指先でそっと渉の頬に触れる。渉の体は反射的に強張り、雅展の手を振り払う事さえ出来なかった。
と、突然渉の携帯が鳴り出した。
「すいません・・・、ちょっと・・・」
渉はホッと胸をなでおろし、雅展の視線から逃れるようにして電話に出る。
『渉、お前今どこにいるんだ?』
かすかに漏れてきた声は、裕壱のものだった。
裕壱との会話を重ねるたびに、先程のことなど何もなかったかのうように渉の表情が綻んでいく。自分には決して見せることのないそのキレイな横顔を、雅展はただじっと見つめていた。
渉の笑顔が輝きを増すごとに嫉妬で視界が滲んで、顔さえはっきりと見えなくなっていく。
(俺には・・・)
雅展の瞳が切なく震え、悔しさにきつく結んだ唇は色をなくしていた。苦しさに伸ばした腕が、渉の細い手首を捉えて強引に引き寄せる。
「え?!」
突然の事に何が起きたのかわからず、渉の頭の中は真っ白になった。
雅展の思いがけないほどの力強さに、抗う事さえできずにムリヤリ上向かされる。嫉妬に狂った視線に射すくめられた渉は、反射的に目蓋をギュッと閉じてしまった。
(架月!)
渉の叫びは音にならず、足下に転がった携帯からは、渉の名前を繰り返し呼ぶ裕壱の声が僅かに耳に届くだけだった。
雅展の吐息が渉の唇をしっとりと濡らす。
・・・が、触れるか触れないかの距離で躊躇い、渉の温もりを奪うこと思い止まってしまった。触れそうな距離から唇を離した雅展は、渉の肩にそっと顔を埋める。
『あんな強引な真似は、もう二度としないから』
以前自分が渉に誓った言葉。それが、雅展の行為にギリギリのところで歯止めをかけてしまったのだ。
渉は恐る恐る目を開ける。
「あさ・・・か・・・さん?」
渉は困惑した視線を雅展に向けるが、その表情を窺うことはできなかった。
雅展は震える腕で渉の身体を引き離すと、「ごめん」と一言だけ口にして、その場か立ち去った。
零した滴を、渉の肩に残したままで・・・。
・・・To Be Continued
佑麻柾砥様
この度は、このContents設置にご協力いただきましてありがとうございました。
浅香視点という私とはまだ違った表現方法に感嘆いたしました。
今後のご活躍を期待しております。
管理人 MITSUKO